第83回 年惜しむ遠足「遊山半分江島詣」
日程
- 2019年12月21日(土)
案内人
- 木下直之(静岡県立美術館)
解説者
- 鈴木良明(鎌倉国宝館)
今春、有隣堂より『江島詣』を上梓された鎌倉国宝館館長鈴木良明氏をいわば現代の「御師」としてお迎えし、ともに江ノ島に参詣します。現代もなお人気の観光地である江ノ島は、江戸時代から霊場かつ行楽地として多くの参詣客を集めるとともに、能楽や歌舞伎などさまざまな芸能の舞台となり、また浮世絵にも数多く描かれてきました。
しかし、その信仰の始まりははるか遠く、最古の縁起は欽明天皇13年(西暦552年)にまで遡ります。この年、突如として海上に江島が湧出し(地震による隆起か)、天女が降臨、これが弁才天でした。対岸で災害を引き起こしていた五頭龍(氾濫を繰り返す柏尾川か)は天女の諭しで改心し、龍口山と化しました。この山を背に処刑場が設けられましたが、文永8年(1271)に日蓮が殺されそうになったのはまさにこの地でした(龍ノ口法難)。
鎌倉時代には鎌倉を西から護る霊所となり、源氏、ついで北条氏の庇護を受け、江戸時代には徳川将軍家との関係が深まります。弁才天は財福信仰と結びつくことで弁財天と表記されるようになり、ますます崇められました。このたびは「江島縁起絵巻」や、本年3月に重要文化財に指定された「八臂弁財天坐像」(13世紀前半)を拝観する予定です。
明治を迎えると、島に神仏分離という激震が走ります。岩本坊(のちに岩本院)・上之宮・下之宮の三坊が江島神社となるのはこの時のことです。廃仏毀釈も起こります。そして、東京大学に雇われた動物学者エドワード・モースが臨海実験所を設け(1877年)、アイルランド人貿易商サムエル・コッキングが植物園を開設し(1882年)、陸軍の元帥児玉源太郎を祀る児玉神社が創建される(1918年)など、江ノ島はその姿を大きく変えてきました。戦後の藤沢市による観光開発の跡もたどってみたいと思います。
ちなみに「遊山半分」とは、歌舞伎「幡随長兵衛精進俎板」の名台詞から採りました。
報告記事金子智哉 KANEKO Tomoya(鎌倉国宝館学芸員)
鎌倉市内に勤めて16年になるということもあり、仕事やプライベートで何度か訪れたことのある江の島ですが、私の勤務先である鎌倉国宝館の鈴木良明館長が本学会遠足の解説者を務めるということで、館長のお供(と言っても特に何もしませんでしたが)を兼ねて参加させていただきました
集合場所の江ノ電・江ノ島駅から出発して最初に向かったのは、島ではなく徒歩数分ほどのところにある龍口寺です。日蓮宗寺院である龍口寺は、かつて鎌倉時代に処刑場があった場所にあり、日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになった、所謂「龍ノ口法難」の地として知られています。寺がある「片瀬」は、中世における鎌倉の西の端にあたり、処刑場跡という性格に加え、行き交う車や江ノ電を見下ろす高台にあることなど、その立地と地形にも興味を惹かれました。なお、寺の境内には全国的にも珍しい明治期の五重塔があります。
その後、引き返す形で江の島に向かいました。土曜日ということもあり、いつもに増して観光客が多い中立ち寄ったのが「玉屋本店」です。明治45年(1912)に開業した羊羹屋さんですが、昭和10年(1935)に建てられた店舗兼主屋が、国の登録有形文化財に登録されることが最近決まったようです。新しい土産店や飲食店が立ち並ぶ中で、昔ながらの佇まいが独特の存在感を示していました。早速参加者の皆さんがお土産として羊羹を買い求め、女将さんに見送られながら弁天橋へと歩を進めました。
初めて江の島に橋が架かったのは明治24年(1891)のことで、それまでは人々は徒歩か船で渡っていたそうです。司馬江漢「江之島富士遠望図」(公益財団法人 氏家浮世絵コレクション蔵)や高橋由一「江の島図」(神奈川県立近代美術館蔵)が往時を偲ばせます。
橋を渡っている最中、左手に自衛隊の船が目に入りました。その後、中津宮広場からヨットハーバーを見下ろした際にも停泊しているのが見えましたが、もしかすると、あれは掃海艇「えのしま」だったのかもしれません。観光地として賑わいを見せる中での自衛隊艦艇の登場は、かすかな緊張感をもたらしました。
さて、いよいよ「日本のモンサンミッシェル」の異名を持つ江の島に近づくと、右手にそびえ立つ「江の島アイランドスパ」が迫ってきます。以前より、話のネタに一度くらい行ってみたいなと思っているところです。それはさておき、普通ですと、そのまままっすぐ仲見世通を進むところを、一行は青銅の鳥居の手前を左に折れました。小道を少し行くと右手のところに、住宅地の中「モース臨海実験所跡推定地」の記念碑がひっそりと立っています。東大の御雇教授を務めたエドワード・S・モースは、大森貝塚の発見、調査者として知られますが、江の島に日本初の臨海実験所を開設した人物でもあります。モースの江の島での暮らしや当時の住民たちの様子などは『日本その日その日』(講談社学術文庫 2013)に詳しく記されています。
青銅の鳥居は延享4年(1747)に建てられ、現在のものは文政4年(1821)に再建されたものになります。柱には多くの寄進者の名前が刻まれており貴重ですが、潮風にさらされているので、そのうち文字が見えなくなってしまうということはないのか少し心配になりました。ちなみに、この銘文の詳細は『藤沢市史 第一巻』で見ることができるそうです。
緩やかな坂道を上がっていき、タコを丸ごとプレスするタコせんべい屋の行列を横目に立ち寄ったのが旅館・岩本楼です。江戸時代までは岩本院と呼ばれ、宗教権、支配権、経済権を掌握する江の島一山の総別当という重要な寺院でした。また、弁才天信仰の隆盛に伴って、参詣する勅使、将軍や大名などの休憩所、宿泊所としても栄えました。その後明治になり、神仏分離、廃仏毀釈の混乱を経て明治7年(1874)に旅館「岩本楼」を開業し現在に至っています(岩本楼公式ホームページ等より)。風格のある建物の中に入ると、ロビーには弁才天像などゆかりの文化財が置かれていました。そして奥に進んでいくと「岩本楼資料館」という展示スペースがあり、江の島や岩本楼の歴史が紹介されています。今回の遠足がなければ、なかなか入ることのないところですので貴重な機会でした。
仲見世通の突き当り、左の階段を上ると児玉神社の石の鳥居が見えてきます。児玉神社は、 日露戦争で大活躍した児玉源太郎を祀る神社で、大正10年(1921)に創建されました。児玉がこの地の景勝を愛したことから建てられたとのことです。余談ですが、児玉源太郎というと、私はNHKドラマ「坂の上の雲」(2009〜2011)で高橋英樹さんが演じていた印象が強いです。
社殿の設計は寺社建築の第一人者である伊東忠太によるもので、台湾から贈られたヒノキで造られており、境内の狛犬や鳥居も台湾の石でできています。これは児玉が台湾総督として台湾の近代化に尽力したことによるものだそうです。先ほどまでの喧騒から離れ、境内はひっそりとしていました。
その後、江戸時代の鍼師で、第五代将軍徳川綱吉の病気を治したという杉山検校の墓(小さな柵を通って細い階段を下りたところにあります)や、検校ゆかりの福石(どれが福石か、しばらく分かりませんでした……)を経て、江島神社(辺津宮)に到着しました。社務所に上がらせていただき、宮司や神職の皆さんの案内で「江島縁起絵巻」を閲覧させていただきました。続いて拝観した奉安殿には、2019年3月に国指定重要文化財に指定された「木造弁才天坐像」や、元寇の際に後宇多天皇が奉納した「後宇多天皇勅額」などが安置されています。この「勅額」は、2018年秋に鎌倉国宝館で私が企画を担当した展覧会に出品いただきました。同年4月に出品依頼のため鈴木館長とともに江島神社を訪れた際、台風のような大嵐で弁天橋を渡るのが恐ろしかったな……などと思い出しつつ、約1年ぶりの再会を果たしました。ちなみに、青銅の鳥居に実際に掛けられている額は、このレプリカだそうです。
「中津宮」を過ぎて(江島神社は、辺津宮・中津宮・奥津宮の総称です)、展望灯台があるサムエル・コッキング苑は時間の都合上中には入りませんでした。当日はコンサートか何かのイベントが開催されていたようで大変賑やかでした。
江の島を歩いていると、「静と動」というか「過去と現代」というか、とにかく次から次へと景色がどんどん変化していくように感じられます。しかし、「山ふたつ」と呼ばれる、名前のとおり山が二つに分かれているように見える絶景の場所に来ると、ここが島であることを改めて思い知らされます。過去にサムエル・コッキング苑までは訪れたことがありましたが、ここから先は初めてでした。
岩屋に向かう途中で「龍恋の鐘」なるものがあるエリアに寄りました。江島縁起「天女と五頭龍」の恋物語に因んで設置されたそうで、デートスポットとして有名なようです。多くのカップルがカンカン鐘を鳴らしておりました。江の島には本当にまんべんなく見どころスポットがあります。
源頼朝寄進という伝承を持つ鳥居をくぐって「奥津宮」を過ぎると、ついに岩屋へ到着です。岩屋は長い歳月を経て波の浸食でできたもので、第一岩屋と第二岩屋から成っています。まず料金を払って第一岩屋に入ると、江の島の歴史や文化を解説したパネルが設置されたところがあり、それらを眺めながら奥に向かうと、途中でおもむろにロウソクを渡されます。脇にはたくさんの石像が並び、どんどん低くなっていく天井の下を中腰で進みます。引き返していったん外に出、続いて第二岩屋へ。見上げる岩肌が圧巻でした。第二岩屋は、のっけから壁面に眩いばかりのイルミネーションで、突き当りには龍の模型が置かれるなど、まるでテーマパークのような様相でした。藤沢生まれ、藤沢育ちの鈴木館長によると、子どもの頃はよく江の島で友だちと遊び、岩屋の探検もしたそうですが、当時は真っ暗でかなり怖かったらしいです。
今回の遠足では、坂道や階段を上がったり下がったり、4時間以上歩き続けて江の島を堪能しました。弁才天や龍神の信仰をベースとしつつも、これまで見てきたとおり、他にもいろいろなものがギュッと詰まって、情報量が非常に多い島です(まさか自衛隊の艦艇まで登場するとは)。隣の鎌倉とはまた違った魅力を発信し続ける江の島の奥深さを再認識した一日でした。
(撮影:中川成生 会員)
行程
12:00 小田急片瀬江ノ島駅集合
12:15 龍口寺
13:30 江ノ島
モース研究所跡 → 児玉神社 → 江島神社 → 植物園 → 中津宮 → 稚児が淵 → 岩屋
17:30 精進落とし(藤沢駅近くで予定)