第62回 大暑の遠足「都の西北早稲田の杜へ―二つの富士をめぐる」
日程
- 2015年7月25日(土)
案内人
- 井上裕一(早稲田大学)
今回の遠足は、都の西北、早稲田大学です。東京専門学校が開校する前の早稲田の杜には、江戸時代、庭園を伴った屋敷と家臣、商人が居住する土地でした。今回の遠足では大隈庭園と甘泉園を巡り、大名藩邸下屋敷の庭園の面影に触れます。
台地の裾には、「戸塚」の町名の起源になった冨塚古墳があり、安永8年(1779)、富士講の先達で、庭師でもあった高田藤四郎が造園技術を駆使して、古墳の墳丘を利用して、富士塚を造ったのが、江戸市中最大最古の富士塚です。昭和38年、早稲田大学との土地の等価交換により、西早稲田3丁目の現在の地に水稲荷神社(高田稲荷)とともに移転されました。移転された富士塚を見学し、大学と文化財の関係について考えます。
また、尾張藩下屋敷の戸山荘は、富士山を借景に庭園が造られ、富士見御殿と呼ばれました。箱根山に見立てた造山125記念室の展望室から眺めます。
早稲田大学の建学には東京大学の卒業生が大きくかかわっていることをご存知ない方が多いのではないでしょうか。14年の政変により下野した大隈重信は小野梓とともに、議会制民主主義を担う人材を育成すべく、都の西北に位置する早稲田の杜に東京専門学校を創設します。東京専門学校の中心となったのは、高田早苗、天野為之、坪内逍遙、市島春城ら若き東京大学の第一期の卒業生たちでした。教師と学生との年齢が近く、あるいは逆転していた学園生活の中で、教師と学生が対等に議論する自由で活発な校風は、その後の早稲田大学校風を特徴づけることになりました。彼らが造った「早稲田大学図書館(現会津八一記念博物館)」と「演劇博物館」、「大隈記念講堂」も合わせて見学します。
今回の遠足では、建学の四尊の業績をたどりつつ、この二つの富士を文献と現地で観覧しながら、大学と文化資源について想いを馳せたいと思います。
行程
11:00 大隈講堂前 集合 学生によるキャンパスツアーと大隈庭園を案内
12 :00 完之荘 または 楠亭(教職員食堂)で昼食
13 :00 會津八一記念博物館 ロビー 集合
(「明暗」・「大隈重信」・大隈記念室)見学
8号館地下 収蔵庫 見学
14 :00 演劇博物館 見学
15:00 早稲田大学図書館 特別資料室
尾張藩下屋敷絵図・大隈庭園写真アルバム
16 :00 高田富士・水稲荷神社・甘泉園
17 :30 大隈記念タワー 校友ラウンジ展望台・125記念室 解散
18 :00 懇親会(会場未定)