第53回 空深く澄み渡る遠足 「上野三碑巡礼」
日程
- 2013年10月19日(土)
案内人
- 土屋正臣(文化資源学会員)
上野三碑と文化財保護 群馬県高崎市南部(旧吉井町)には、上野三碑と呼ばれる三つの碑文が残されている。それは“山ノ上碑”、“金井沢碑”、“多胡碑”である。
山ノ上碑は681年の碑文で日本最古の石碑である。隣接する山上古墳とともに特別史跡に指定されている。碑文の内容は、放光寺の長利僧が、母である黒売刀自の追善供養として建 てられたものとされる。
金井沢碑は、726年に三家氏を名乗る氏族が、同族と仏教の教えでむすびつき、祖先の供養と一族の繁栄を祈って建立した石碑である。碑文の冒頭には、「上野国群馬郡下賛郷高田郷」とあり、“群馬”の文字が使われた最古の例とされる。
そして、多胡碑は朝廷の命令で新たに多胡郡を設置したことを記念した碑文で、同様の記述が『続日本紀』にもみられる。栃木県大田原市の那須国造碑、宮城県多賀城市の多賀城碑とともに日本三古碑とも称される。
この三碑のなかでも、現在まで時代ごとに様々な評価が与えられてきたのが、多胡碑である。近世においては、物見遊山の対象であり、拓本は土産物として販売されることもあった。実際に碑文自体に拓本が取られた形跡が残されている。
ところが、近代に入ると、一転して多胡碑は文化財として保護の対象となる。明治15年(1882)に初代群馬県令であった楫取素彦が内務省に働きかけ、木柵等の修理を行っている。さらに楫取は、地元の有志に寄付を募って多胡碑のある稲荷明神周辺の土地を買収して整備するよう助言し、自らも寄付を行っている。楫取は同時期に前橋市内に現存する二子山古墳を陵墓として指定するよう政府に積極的な働きかけを行っており、楫取による多胡碑保護は、こうした近代文化財保護制度の枠組みの中で展開されることとなった。
やがて敗戦後、GHQからの接収が危惧されたことから、文部省は文化財の隠匿を通達する。これを受けた地元住民は、付近の桑畑の土中に一時的に隠匿された。 上野三碑は、大きく分けて3つの視点で評価されてきた。第一は、古代史研究の側面であり、第二は近世以来の書道史研究の側面である。そして第三に保護政策史の側面である。古代史研究対象や書道史研究対象としての多胡碑については、近世から現在に至るまでの研究の蓄積がある一方、保護政策史については、近年までほとんど論じられることはなかった。つまり、多胡碑そのものに関して様々な人々が論じてきたが、その論客たちの視点やそれに由来する保護政策という、俯瞰的な視点によって多胡碑が捉えられることはあまりなかったと言える。
文化資源学会として、上野三碑をめぐる意義は、蓄積されてきた研究史の流れをトレースすることではなく、トレースの軌跡から保護政策史をあぶりだすことに他ならない。そしてそれは、近現代における文化財の保護とは何かという問いに接続する問題である。 なお、周辺情報として、多胡碑に関連あるとされる七輿山古墳とその資料が収蔵される藤岡市埋蔵文化財収蔵庫をコースに組み込みたい。
行程
高崎駅東口集合 10:00 → 金井沢碑着 10:20 → 金井沢碑発 11:00 → 山ノ上碑着 11:20
山ノ上碑発 12:00
移動・昼食休憩(魚健)
多胡碑・多胡碑記念館着 13:15→多胡碑・多胡碑記念館発 15:00 → 七輿山古墳着 15:20
七輿山古墳発 16:00 → 藤岡市埋蔵文化財収蔵庫着 16:05 → 藤岡市埋蔵文化財収蔵庫発 17:00
高崎駅東口着 17:30 懇親会(高崎駅周辺)18:00