第48回 菊薫る遠足 「行列していく行列展」
日程
- 2012年11月17日(土)
案内人
- 木下直之(東京大学)
解説者
- 久留島浩(国立歴史民俗博物館)
佐倉城内にある国立歴史民俗博物館が「行列にみる近世—武士と異国と祭礼とー」展 (10月16日?12月9日)を開催します。大名行列や祭礼行列、朝鮮通信使や琉球使節の行列などをとおして、近世日本の文化に迫るユニークな展覧会です。案内人も一昨年よりその企画に携わってきました。当日は、企画者である同館の久留島浩教授の解説を聞きながら展覧会を鑑賞するのですが、せっかくですから、その前に、行列を組んで武家屋敷や寺社の残る佐倉城下を歩きましょう。身を以て「行列とは何か」を考える機会とします。また、かつて学会が取り組んだ神田祭附祭復元プロジェクトを振り返り、来年の神田祭(学会有志で参加の予定)に向けての構想を語り合う予定です。
行程
11:00 佐倉順天堂記念館
12:20 旧掘田邸
13:30 昼食 房洲屋本店
麻賀多神社
14:30 国立歴史民俗博物館
17:00 懇親会(京成佐倉駅前 予定)
行列から見る日本の近世社会難波知子
2012年11月17日、秋雨の土曜日。千葉県・佐倉の城下町を“行列して”歩く遠足が開催された。佐倉の城下町は、土井利勝による佐倉城の築城から400年余りの歴史をもち、江戸時代には幕府の老中を多く輩出し、11万石の繁栄を誇った地である。現在、佐倉市では城下町400年を記念してさまざまなイベントが企画され、遠足当日も「時代まつり」が開催されていた。
時代まつりの会場を通り抜け、最初に向かったのは佐倉順天堂記念館である。佐倉は長崎と並び、近代医学発祥の地の一つとしてあげられるが、その礎を築いたのが順天堂を開いた佐藤泰然である。蘭医塾兼外科の順天堂では、西洋医学による治療と医学教育が行われ、全国から患者や医学生を集めた。
佐倉順天堂記念館は、1858年(安政5)年に建てられた建物の1部を公開したもので、順天堂や医学の歴史を示すさまざまな記録や資料が展示されていた。特に印象に残ったのは、当時の手術道具や治療の料金表である。泰然が外科手術を行っていた時代にはまだ安全に使用できる麻酔薬がなく、麻酔なしで手術が行われていたそうだ。そうした話を聞きながら、骨鋸などの手術道具を見て、麻酔なしの外科手術という背筋が凍るような想像をした。また治療の料金表には、白内障、乳癌手術、帝王切開、造鼻施術など多岐にわたる治療内容とその費用が記され、幕末にすでに高度な手術が行われていたことが窺えた。造鼻施術は現在の美容整形という意味合いではなく、馬に蹴られて折れた鼻を整える手術であった。
もう一つ印象に残ったことといえば、順天堂の跡継ぎの選び方である。泰然は実子ではなく、優秀な弟子であった尚中(山口舜海)を養子に迎え、後継者とした。この考え方は代々受け継がれ、順天堂が大きく発展した要因の一つと考えられている。佐藤家の家系図を見ると、外務大臣の林董や私立女子美術学校の佐藤志津など、明治時代に各界で活躍した人物がいる。医学界だけでなく、各方面に人材を輩出している点が興味深かった。
次に、雨の晴れ間をぬって、旧堀田邸まで“行列して”向かった。
旧堀田邸は、最後の佐倉藩主・堀田正倫が1890年(明治23)年に建てた邸宅である。東京から佐倉に移り住んだ正倫は、邸宅の周辺に農事試験場をつくり、当地の農業の発展に尽力した。
旧大名家の邸宅である堀田邸は、近世的な様式や技術を継承した近代の建築として位置づけることができる。封建的な近世社会の特徴は、身分や家柄により厳しく格式が定められたことだろう。旧堀田邸は、使用する人や時期によって出入り口が複数設けられ、部屋の性格によって壁土の色や釘隠しのかたちなどが使い分けられている。釘隠しは、客間には桐、居間には橘や楓が用いられていた。ちなみに堀田家の家紋は、竪木瓜である。たて向きの木瓜文は珍しく、「堀田木瓜」と呼ばれる。他にも、引き戸に跡見花蹊が描いた図、七宝の引き手、ふすまに張られた芭蕉布、網代の天井などさまざまな見どころがあり、一つひとつ丁寧につくり込まれた家屋には、味わい深い美しさが感じられた。
残念ながら庭園を散策することは出来なかったが、パンフレットによれば、そばを流れる高崎川とその対岸を借景にし、芝や樹木、景石や石塔が配されている庭園のようだ。四季折々の風景が楽しめそうである。
佐倉順天堂記念館・旧堀田邸ともに、ガイドの方から分かりやすく丁寧な解説を賜った。特に筆者のグループでは、ガイドさんお手製の「佐倉(鹿島)城主一覧」の資料が配られ、歴代の佐倉城主の名前や在任期間、その時々の石高まで知ることができた。
老舗の蕎麦屋「房州屋」で昼食休憩をとったあと、戦前に佐倉連隊が置かれていた佐倉城址公園を通り抜け、国立歴史民俗博物館に向かった。博物館の入り口では、展示を見に行く会員の整然とした(?)“行列”が撮影された。
国立歴史民俗博物館では、2012年10月16日から12月9日まで「行列にみる近世——武士と異国と祭礼と」と題された企画展示が行われた。この展示は、描かれた行列から近世社会や武士のあり様を探るものである。展示は「武士たちの行列」「異国の使節の行列」「祭礼の行列」の三つのテーマで構成された。
まず、企画展の入り口で、筆者は少々驚いた。入り口中央には、矢掛本陣の御成門が再現され、入り口右手には津山藩主の行列図が掲げられ、入り口左手には新見市の土下座祭り(御神幸武器行列)のビデオ映像が流されていた。いずれも筆者の郷里、岡山県にちなむ風景と資料だったからである。
プロローグとして示された津山藩主の行列図「拾万石御加増後初御入国御供立之図」は、企画展入り口の壁面に複写されたものが展示されていた。この行列図は、津山藩が10万石に復帰して初めてのお国入りの行列を1884年(明治17)年に復元して描いたものである。描かれた行列図をつなげて並べると、およそ13メートル(幅188センチ×7枚)あり、人物が約750名も描き込まれている(筆者のカウントによる)。行列は地位や身分に応じて、供の構成・人数が決められていたので、行列の長さは支配者の権力を反映し、視覚化する。
このような行列の“長さ”を展示するには、相当のスペースを必要とする。企画展では、そうした展示スペースや見やすさの問題を克服するために、タッチパネルで行列を見られるようデジタル画像が用意されていた。閲覧者は、行列図の全体像を俯瞰して見ることや、1部を拡大して見ることが自在にできた。この視点の遠近の自在さは、現代のデジタル技術の賜物である。
企画展入り口を進んだ奥には、明治時代に制作された大名行列人形が展示されていた。300体を超える人形の行列は、展示室の中でも一際目をひく存在であった。これらの人形は山田幾右衛門により制作され、1888年(明治21)年に宮内省で公開されたものである。先の津山藩主の行列図も同様であったが、明治になってから大名行列をモチーフに人形や屏風などが制作されている。この背景には、江戸時代を懐古的に見直す風潮が明治20年前後からみられたことがあげられる。