トップページ > 遠足 > 第43回

第43回 秋彼岸の遠足  「動物園とは何か、多摩と富山で考える」

日程

  • 2011年9月17日(土)23日(金)25日(日)

案内人

  • 中川成生(東京都動物園協会)、木下直之(東京大学)

解説者

  • 山本茂行(富山市ファミリーパーク)、村井仁志(富山市ファミリーパーク)
サンプルイメージ

日本社会が動物園を手に入れて130年になろうとしている。動物園とは、都市の中に野生動物を抱え込んで、それを飼育し、公開展示するという、考えてみればおそろしく手間のかかる奇妙な施設である。日本動物園水族館協会に加盟する動物園だけで80園を越え、さらに動物園を名乗らずに公開展示を行う施設も数多くある。その大半が地方自治体によって運営されている。「旭山動物園の奇跡」は近年の大きな話題だが、逆に、それは現代の動物園が広く直面する利用者の減少や財政難という現実を教えてくれた。

 税金が投じられる公立施設であるがゆえに、動物園の存在意義が問われている。いったい動物園は何のためにあるのかと。メディアや観光業とタイアップして利用者を劇的に増加させた旭山動物園の選んだ道は、ひとつの打開策にすぎない。この現代的課題と真摯に向き合い、さらに多様で地道な試みが、各地の動物園で展開されている。この遠足では、改めて「動物園とは何か」を問うことにする。

 多摩動物公園は、1958年に、狭隘な上野動物園の限界を乗り越えるかたちで開園した。すでに半世紀の歴史を有する。近年では野生動物保全センターを設立し、希少動物の飼育繁殖に積極的な活動を行っている。そのリーダーである小林和夫氏を囲んで「現代の動物園の使命と課題」を考える勉強会を開催する。

 富山市ファミリーパークは1985年に富山市の呉羽丘陵に開園した。徹底的な地域密着型の動物園で、「人も森も元気になる新しい里山づくり」をスローガンに掲げている。遠い外国の珍獣を見せる旧来型の動物園から、その地域の動物や家畜・家禽を飼育展示し、暮らしの中での人と動物の関係を見つめる場所へ、はっきりと舵を切った動物園である。いや、動物園とさえ名乗っていない。山本茂行園長による動物園の定義は「人と自然の関係学園」である。この動物園で1泊2日を過ごす。

 なお、9月23日(金)午後に予定している「福岡町つくりもん祭り」見物は、動物園とは直接関わらない。案内人である木下が長年追いかけてきた江戸時代の細工見世物(つくりもの)を奇跡的に現代に伝えている祭礼で、祭りの間、町の辻々に、野菜だけでつくられた「つくりもの」が飾られる。福岡町つくりもんについては木下直之『ハリボテの町』朝日新聞社、細工見世物については川添祐『江戸の見世物』岩波新書(同氏も会員)を参考にされたい。

行程

9月17日(土)10:30−17:00 
多摩動物公園にて見学・勉強会「現代の動物園の使命と課題」
23日(金)15:00 
富山県高岡市福岡町に集合
つくりもん祭り見物
富山駅周辺に各自宿泊
24日(土)10:00−17:00 
富山市ファミリーパークにて見学・勉強会
「富山市ファミリーパークの挑戦」
動物園に隣接する公立施設に合宿
25日(日)9:00−15:00
同上

「動物園とは何か、多摩と富山で考える」報告記事作田 和樹 SAKKUTA Tomoki (東京大学、静岡文化芸術大学)

サンプルイメージ

 「現代の動物園の使命と課題」

■ はじめに 
まだ暑さの残る9月17日、多摩丘陵にある多摩動物公園の正面ゲート前に一同集合。まず午前中はウォッチングセンターの上にある事務所にて、同動物園職員で「繁殖の帝王」との異名を持つ小林和夫氏より、国内の動物園の歴史や課題、その間の展示を巡る議論の変遷についてレクチャーを受けた。
題名は「現代の動物園の使命と課題」。大変充実したレクチャーであったが、メモを起こしたところ軽く1万字を超えてしまい、とても紙数に収まりそうもないため、挙げられたトピックの中で特に印象深かった部分の紹介に留める。

■ 動物園の入場者数 
動物園の入場者数は変動が激しいそうだ。上野動物園にやってきた新しいパンダの効果は大きかった一方で、有名な旭山動物園では、様々な努力にも関わらず、年々約10%のペースで減っているという。そしてここ多摩動物公園も入場者数が減少している。では年間の平均入場者数は? というところで、博物館と動物園の利用者数を比較してみよう。全ての博物館の入場者数を計算すると1館あたり平均約7万人だが、全国に156園(2009年)ある日本動物園水族館協会(日動水)の一応の資格基準を満たしている動物館・水族館だけで見ると、なんと平均約47万人以上となる。

■ 動物園のミッションと課題 
さて、ではそのように多くの入場者数を誇っている動物園の固有の使命、ミッションとは何であろうか? 小林氏は一つの答えとして、「生きた動物の飼育展示を通して動物や環境からのメッセージを伝える」のが使命であると考えている。
一方、近年現場で意識されている課題は様々である、まず他の文化施設と同様に評価手法について、まず入園者数が評価の基準とされてしまうこと。さらに様々な事情から、展示動物の確保が難しくなってきていること。さらに、昔と違い新しい施設の比較がされるようになった。加えて飼育環境の多様化、「種の保存」へのとりくみ 、新たな展示手法の開発など、様々な時代の流れに合わせて投資を続けなければならず、非常にお金がかかるという。エサ代だけではないのだ。

■ 日本の「大衆型」動物園の成立 
ところで、日本の動物園が俗化・大衆化していったのは、「福澤諭吉がzoological gardenを動物”学”園と訳さないで”動物園”と訳したから」とも言われているそうだが、戦後に平和のシンボル、復興のシンボルとして新設されていったことの影響が大きいようだ。特に当時目立って増えたのは、東武動物公園などの電鉄系動物園。あまりの増加ぶりに「駅弁大学」ならぬ「駅弁動物園」状態であった。ちなみに現在公立の動物園も、以前は民間立であったものもあるという。
多摩動物公園もこうした流れの中で生まれた。そもそも1949年、練兵場跡地の戸山に「新宿動物園構想」が立ち上がった。しかし1955年ごろ七生村(当時)より土地寄贈の申し出があり、土地を京王帝都電鉄が買収して村に寄付してそれを動物園用地として都に寄付し、1958年にオープンした。

■ 動物園ブームから珍獣ブームへ
現在から戦後の動物園ブームを振り返ると、人々への慰楽のために、また婦人参政権により集票のために作られたところもあるという。佐々木時雄氏の本(『動物園の歴史―日本における動物園の成立』講談社学術文庫)なども参考になる。
その間には例えば「珍獣」ブームがあった。阪神パークの名物となったレオポン(オスのヒョウとメスのライオンによる異種交配種)が作られたり、公立動物園でも天王寺動物園で、オスのライオンとメスのトラでライガーといったものが生まれたりした。パンダも珍獣の代表格。来日した時に上野にきた入場者数は数え方によって違うが7?800万人にのぼった。 パンダがそれだけの人気を読んだのはマスコミの影響が大きかった。

■ 動物園の方針の変化 
現在、動物園では動物の環境を良くしよう(=エンリッチメント)と計画立てて飼育を行なっている。また、展示動物の確保が難しくなってきたことから、ズーストック計画と呼ぶ「展示動物は動物園で繁殖させる」という方針をとっている。そのために、飼育面積を広げて、生まれた子供を置いておけたり、複数のペアをおいて近親交配を防ぐようにしたりといった工夫をしている。しかしそうなると(珍獣ではなく)特定の動物を集めることとなり、入園者の減少につながるのではないかという問題もあるそうだ。

■ 動物園と指定管理者制度
現在の都立動物園(上野動物園・多摩動物公園・葛西臨海水族園・井の頭自然文化園)は2006年から指定管理者制度が導入されている。数千人に上る職員がそのまま東京都動物園協会に雇用され、指定管理者となったが、組織上の変化としては、以前と異なり都庁の公園緑地部の下請け的な、出入り業者的な立場になってしまった感があるという。
通常の指定管理者よりも長い、期間10年の特命指定管理者ではあるが、正規職員の新規雇用は難しく、そのため技術面の育成が困難になっているそうである。これは文化施設や福祉施設と同様の悩みであろう。今後は4つの動物園全てではなく切り離して公募にかける可能性もあり、そうなれば民間でも手を上げるところが出てくる可能性があるという。しかし動物、とりわけ猛獣の飼育係の職員などは、通常は5年などで交代するということはありえないということだという。

■ 動物園を取り巻く環境の変化
指定管理者制度の導入以来、「経営感覚」という言葉がマジック・ワードとしてまかり通っているところがあるという。また近年では、研究者から共同研究を持ちかけられることも増えている。研究者から一緒に共同研究やりましょうという声はかかるが、実験材料が欲しいだけなんじゃないか、あるいはデータが取りやすくて論文の生産性が高いからじゃないかという疑いもある。研究者にしてみると、動物園は動物がたくさんいて、DNAも取り放題と見えるのかも知れない。そのため小林氏は、そういうサンプルを動物園が喜んで出してしまうことには危惧も感じているそうである。

 その他、野生動物の保全にかかわる技術的な課題や展示手法の変遷、 エンリッチメントの現在、そして動物園を取り巻く環境の変化、在来種と外来種の概念上の区別や展示コンセプトに対する影響、それに対する小林氏の見解等、大変具体的で興味深いお話を伺うことができた。

■ 見学
その後、午後からは、チンパンジーの放牧場で「UFOキャッチャー」や「アリ塚」「自動販売機」といった、行動展示・エンリッチメントの仕掛けを見学した後、アフリカエリアの混合展示場脇を通り、ライオン舎のバックヤード側を見せていただいた。さらに、空中に通されたケーブルを伝って運動場へ移動するオランウータン舎の設備、さらに動物園では珍しいモグラを飼っている小屋(柱や頭上にゴム製の通路が張り巡らされており、動き回る様子を観察できる)等を見学。再び管理施設に戻ってからも活発な質疑が行われ、大変充実した勉強会となった。

■ 終わりに
動物園とミュージアムの関係、さらには人々と「展示」の関係など、様々な論点をよそに、今日も絶えず動物園には大量の人と餌が入って行く。具体的な活動を知るほどに、動物園という場に対する認識が改まっていく。レジャーの場であり、教育施設であり、保全施設であり、研究室でもある。富山市ファミリーパークもそうだが、ただ「動物を見る場」に留まらない多様な側面を持つ動物園で何が生まれているのか、引続き考えていきたい。

第43回秋の彼岸の遠足(後半:富山市ファミリーパーク)参加報告清家 三智 SEIKE Misato(名古屋市美術館)

サンプルイメージ

 唐突だが、今回の遠足では全行程に参加するメンバーに対して事前のアンケート提出が課された。各設問には200字程度〜多くても全体でA4用紙1枚に収まるよう回答をまとめること、とあった。内容は以下の通り。
1.生まれてはじめて訪れた動物園はどこですか。その思い出を書いてください。

2.最近、動物園を訪れて気になること、問題だと思うことはありますか。

3.これからの動物園はどうなればよいと思いますか。動物園はなくなった方がよいという意見でも構いません。

これらの問い―特に最後の質問―に対して普段から自分の答えを用意している人はどれほどいるのだろう。参加者は否応なしにこれまでの動物園との関わりを思い返し、問題意識を整理する時間を持つことになった。この思索が遠足の間、断続的に繰り返されたことをはじめに断っておこうと思う。

 さて、富山市ファミリーパーク(以下、TFP)の山本園長が高岡市福岡町出身というご縁もあり、遠足の後半は三連休の初日に当たる9月23日(金祝)の午後、つくりもんまつりの見学からスタートした。私事で恐縮だが、大学の卒業論文で江戸の造り物を取り上げながら文献のみの考察に終始し、実見する機会を再三逃してきた私にとっては"念願かなって"の初対面であった。副市長から直々にまつりの由来や近年の変化について話を伺った後、地元ボランティアガイドの案内で町中の展示場を見て回った。つくりもんは五穀豊穣に感謝して地蔵菩薩に秋の作物を供えたことがはじまりとされているが、展示場所、主題、制作方法、素材の選択などにおいて伝統的なつくりもんとは似て非なる「野菜を使ったインスタレーション」が少なからず存在しており、複雑な心境になる。高齢化による作り手の減少を食い止めるため近隣の大学などと連携しているそうだが、歴史や伝統を理解し、受け継ぐことの難しさを改めて感じた。とはいえ、300余年の伝統を持つ奇祭が観光資源として脚光を浴び、過疎の進む地方都市の町おこしとして評価を受けていることは町の賑わいからも確かであった。

 翌朝は出発前、富山駅の向かいに立つ《平和群像》の前で集合し、像の来歴や男性ヌード、群像表現について木下直之学会長の解説を聞く。所要時間15分。

目的地へは路線バスで移動し、TFP園内の自然体験センターに到着したところで事前に回収した全員分のアンケートと資料が配付された。ここで改めて参加者の自己紹介。話に耳を傾けながら資料をめく、動物園体験は一人ひとり異なるものだという当たり前のことに新鮮な驚きを覚える。その後、動物園は何をするための場所か、今どのような危機に直面しているか、日本に動物園がある意味は何かなどの問題提起と、それに対してTFPが具体的に選んだ道、将来の展望に関する話を山本園長から伺った。現在の動物園をとりまく状況が明るくないことに気が重くなったが、立地環境や飼育動物など自分たちの持てる資源を丁寧に洗い出して、それぞれの存在意義を多方面から検証、評価し、活用方法や地域社会との関わり方を柔軟に考えて実践に移すという道程は、文化資源学、特に文化経営学の理念に通じるところが大きいと感じた。

サンプルイメージ 午後からは園内の見学開始。初めて訪れる場所、動物との出会いに対する期待でわくわくしながらも、おのずと先の園長の話がどう具現化されているのかを確認する作業になった。まず展示場から展示場への間に結構な距離がある。道は舗装されているものの、ほどよく放置されていて野花・野草は茂り放題、自然観察の場としての活用も可能だ。アップダウンも激しく、TFPが位置する丘陵地の地形を可能な限り変えないよう心がけていることが伺えた。途中、時間と場所を指定されて何度か再集合し〈カエルの谷〉〈ホタルのおやど〉の設置経緯についてスタッフの解説を聞くことができた。地元の自然保護NPOとの協働で整備されたことは、看板にもなって来園者に紹介されている。敷地内に有する豊富な自然を有効活用するだけでなく、動物園が開かれた場所として地域と連携し、市民の参画を歓迎している姿勢が強く感じられた。

 一方、「種の保存」という動物園の基本的かつ重要な使命に関する活動も進めている。富山県の県鳥であり絶滅危惧種に指定されている天然記念物ニホンライチョウの未来を見据えて、TFPでは北欧ノルウェーに生息する大型亜種のスバールバルライチョウを飼育し、生態の研究・理解に努めている。富山の人間にとってライチョウは神に等しいものであり半世紀前であれば飼育するなど無礼千万だと反対されたに違いないが、新潟のトキの二の舞を避けたいという思いが原動力になっていると飼育スタッフが語ってくれた。今では県民の意識も少しずつ変わり、理解を得られるようになってきたという。ここで園内に手書きのキャプションが多いのに気づく。色画用紙をラミネート加工しただけの簡素なつくりだが、読みやすく温かみがある。古びたり破れたりしたものもなく、メンテナンスが行き届いているようだ。飼育スタッフの継続的な観察から分かる成長過程や夜行性動物の生態などは、来園者にとって興味深い、貴重な情報である。スタッフからの定期的な情報発信は、動物が日々変化し続けていることを気づかせ、関心を持続させる有効な手段だと思った。

 家畜動物も多く展示されている。そもそも施設の名称で動物園と謳っていない意味を考えてみる。厩にほど近い傾斜地には首から「お仕事中です」の札を下げて雑草を食むヤギの姿。首輪につながれた縄こそ柵に結んであるが、手を伸ばせば容易に触れる距離にいる。しかしこれは来園者が頭をなでるためではなく、管理上の事情によるものだろう。現代日本人には疎遠となってしまった、人間と密接に係わりながら生きてきた家畜動物の姿をどう見せるか、展示のあり方そのものを考えさせられた。乗馬広場には木曽馬のほか、野間馬、ばん系馬など農作業や荷運びで人間の生活を支えてきた馬たち。そして特筆すべきは、鶏が特集されたコーナーである。白色レグホーン、軍鶏、名古屋コーチンから土佐の尾長、秋田の声良のような観賞用まで多種多様である。比較対象が多いため特徴が分かりやすく、鶏が必ずしも食用のみではなく愛玩動物として人間と暮らしてきた歴史なども伝えやすい。生物としてだけでなく、民俗学と連携して動物を考える可能性も見えてきた。近年ツキノワグマ、ニホンザルなどに人が襲われるニュースが絶えないが、日本の里山に生息している動物の生態を知ることも現代の私たちには必要な体験であると感じた。

 閉園時間後は、車で10分程度の距離にある〈くれは山荘〉へ移動。ここは八尾市から移築され料亭として使用されていた合掌造りの建築を、6年前から慰労施設として地元のNPOが運営しているのだという。レンタルの布団を割り当てられて各自で敷いたり、お風呂に入る順番を決めたりと懐かしい修学旅行気分を味わい、山本園長のアドバイスに従って珍しい炭酸泉のお風呂に15分以上浸かる。夕食には薬膳粥、しし鍋汁、かまぼこ、赤松の葉のジュースなど郷土色豊かな料理が振る舞われ、参加者はお酒とともに存分に堪能しながら、昼間の見学の感想や小さな疑問をTFP関係者にぶつけていた。広い園内を歩き回って疲れたこともあり、この日は比較的健康的な時間に就寝(したはず)。

 25日の午前中は、園内の東に位置する〈ひみつの森〉、〈せんがる窯〉、〈きんたろうの森〉を経由して〈みはらし広場〉へ向かい、NPOきんたろうクラブの皆さんの支援の下、里山体験を行った。歴史的に、人間は森林を過剰利用してきた時間が長いが、近年では残された里山を放置することによる問題が生まれている。森として持続可能な状態を保つために継続的に人の手を入れることが、里山保全活動のねらいとされる。参加者代表3名がヘルメットを装着して蚊の多い竹やぶに入り、青竹を切り倒す。倒れるときの音や衝撃が木のそれと大差なく、驚く。竹の形状を生かした長形の皿と椀代わりの器の二種類を作ると説明を受けた後、適度な太さの部分を節の位置を確認しながらのこぎりやナタで切断し、やすりで形を整える。全員が完成したところで活動拠点である山小屋まで移動し、用意してくださったカレーライスと味噌汁を自分で作った竹の器に盛り付け、囲炉裏の火を囲んでの昼食。味噌汁の具は森に自生するミョウガ、おかずはスタッフの方が森の木々に巻きついた蔓から採ってくださったムカゴである。水で洗って生のまま口に放り込む、まさにフィールドワーク。食事中も、竹の切れ端は炭焼き小屋で炭に変えて無駄を作らない、竹の色は時間が経つと褪せてしまうが遠目の直火であぶると鮮やかな緑に変わり持続させることができる、など里山で得られる資源の活用方法についてもお話しいただいた。 しかし普段の私たちが考える動物園という言葉から連想する内容と、この場で体験している内容には大きな隔たりがあった。楽しいと感じる一方、私の中で違和感がここでピークに達したのも事実だった。TFPは動物園とは銘打っていないが…そもそも動物園とは、何をすべき場所だったのだろう?何ができる場所だったのだろう?誰のためにある場所だったのだろう?…思いをめぐらせるうちに、これまで一括りにして捉えてきた"自然"や"動物"という言葉が指す一つ一つを、それらとの係わり方を、私たち一人ひとりが丁寧に考え直すことが必要だと本当の意味で納得することができた。事前アンケートの設問と、初日の山本園長の話が思い出された。

 遠足のクライマックスとなる意見交換会では、「良い意味で動物園の概念が打ち砕かれ、動物園に対する考えが広まり、深まった」とのコメントが多く聞かれた。また「未来の動物園にはぜひこうなって欲しい/これだけはしないで欲しい」といった要望なども参加者から出された。TFPの方々がこれらの提案を寛容に受け止め、今後の運営に生かしてくださることを期待するとともに、私たちは主体性をもって積極的に動物園を利用することが望まれているのだと、来園者としての責任を感じながら会場を後にした。

 最後に、多くの示唆に富む研修を準備してくださった企画者とお世話になった富山市ファミリーパーク、関係NPOの皆さんに、遅ればせながら深くお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

ページトップへ戻る
©2002-2023文化資源学会