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第37回 初風薫る遠足  「昭和のくらし博物館訪問」

日程

  • 2010年5月22日(土)

案内人

  • 木下直之(東京大学)

解説者

  • 小泉和子(昭和のくらし博物館館長・家具研究者)
サンプルイメージ

 家具研究で知られる小泉和子さんが暮らした家は、建築技師であった父小泉孝によって昭和26年に建てられました。敷地55坪、建坪12坪、1階3間、2階2間の木造住宅に、一家6人のほかに、賄い・掃除・洗濯付きの下宿人2人が暮らしたそうです。つまりは、戦後の東京のごくごく普通の家なのですが、「サザエさんの家」とも「向田邦子の世界」ともいわれるこうした住宅は、今となってはほとんど残っていません。そこで、この家が空き家になった時に、小泉さんは家財もろとも博物館に変えることを決意しました。「昭和のくらし博物館」と名乗って平成11年に開館、文字どおり「昭和のくらし」を考える場所として活動を続けてきました。今回は、小泉さんご自身の博物館に対するお考えや運営の実態についてもお話をうかがう予定です。


風薫る遠足    ―昭和のくらし博物館訪問―星野 立子 HOSHINO Ritsuko

 いきなり私事で失礼だが、筆者は昭和も終わりの60年生まれである。昨年までは「最近のこと」だと捉えていた(つまり、若い気持ちでいた)が、誕生日を迎え、四半世紀生きてしまったことに気が付いた。スポーツ界でも芸能界でも、平成生まれが続々と輝かしい功績を納めている。一方で、テレビ番組や映画では戦後を「なつかしの昭和」と評する特集が目につくようになった。平成が年を重ねるに連れ、「昭和は振り返られる過去になったのだ」とつくづく感じてしまう。

 では、昭和とは一体いかなる時代だったのか。昭和生まれとは言え、人生のはじめの四年しか実体験していないのでほとんど認識がない。64年間という長い時代であったこと、恐慌や戦争を経たこと、経済が未曾有の発展を遂げた時期があったこと等は映像、写真、書籍等のメディアによって、また周りの大人の体験談を通じて、知識としては知っている。しかし、日々の生活の中でそれを体験するということがどういうことなのかは、どこまでいっても想像の域を出ない。そのような私にとって、「昭和のくらし博物館」への遠足は有意義であった。より具体的に昭和について学ぶことができたからである。さらに博物館のあり方について改めて考える時間ともなった。

 昭和のくらし博物館は、東急池上線は「久が原」駅を降り、商店街を進んで細い路地を抜けたところにある。昭和26年からほぼ半世紀の間、館長である小泉和子先生ご一家がお住まいになっていた木造住宅がそのまま博物館になっており、家財や内装も多くが当時のままに残され展示されている。五月、曇りの土曜日に訪れると、二階の窓や縁側、庭先のあちらこちらから、既に到着した学会員の顔がのぞき声が聞こえてきた。一般的に言うところの「博物館」に来たという感じはせず、「お宅訪問」の気分になった。玄関をくぐると、入ってすぐ左手の応接間兼書斎には、一家の主、ではなく学会長がくつろいでいらした。自然と「おじゃまします」の声を発してしまう。食事の準備が整えられたちゃぶ台を横目に見つつ二階に上がれば子ども部屋があり、本棚をしげしげと眺め箪笥の抽き出しを開け閉めした。夢中になって見ていると、階下から「おやつよ」と呼ばれたかはわからないが、館長お手製の黒豆入り葛きりとお茶が特別に用意されており、御馳走になった。風薫る五月の空の下、つるんとしたのどごしが美味しかった。南伸坊さんがどこかで「小泉さんちにお邪魔した」と書いていらしたのも頷けた。

 けれども、同館は決して小泉先生ご一家の私的な昭和史を伝えるだけの場ではない。収蔵品の中には、ご近所の医院やお宅で使われていた寄贈品もある。様々な人の集合的な昭和の記憶や記録が集積されているのだ。さらに、それを次代へと引き継いでいく活動もさかんに行われている。先生のご講演の中で、講演会や講座の様子がスライドで紹介されたが、昭和現役体験世代の大人もポスト昭和組の少年少女も肩を寄せ合い、共に昭和に思いを馳せる様子が映し出された。また、小泉先生はお母様が毎日行っていた「家事」の記録映像も制作されている。

 これらに加えて、当時のくらしを伝えるための工夫の中で私が特に心魅かれたのは、季節感が大切にされている点である。春夏秋冬の移り変わりは、くらしを取り巻く環境として、また、私たちが世界を認識する方法として最も基本的なものである。勿論、多くの博物館、美術館においても、時候の風俗や草木果樹が表された作品の展示等によって、季節が意識されてはいる。しかし、季節に応じた道具や着物、建具等が語り、醸し出す四季のうつろい程身近なものはなかろう。同館の特色だと思う。

 つまり、昭和のくらし博物館は、様々な人にとっての昭和を建築や道具といった「モノ」だけでなく、その「モノ」にまつわる行為や感覚等の「コト」をも扱う博物館なのである。そこでの「昭和」の語られ方は、年表や教科書的な歴史の著述とは異なる。昭和20年の終戦、30年代の高度経済成長、東京オリンピック、オイルショック…。そのような点としての史実の連なりではなく、日常の延長でそれを感じ、その影響を体験し、それでもやってくる毎日をとにかく生きてきた人々の生活が、住居という環境ごと包括的に提示されているのだ。もっとも、博物館として「くらし」を丸ごと引受けるのは容易ではない。ありとあらゆる什器が取り扱う対象となるが、戦後期は特に、多様な日用品が大量に生み出され普及した時代であった。何を、どこまで、どのように収蔵していくかについて試行錯誤されているという先生のお話も興味深かった。昭和という時代を体感し、ミュージアムの可能性について考える一日となった。

 小泉和子先生はじめ、当日お世話になった関係者の皆様方、どうも有り難うございました。御礼ならびに「おじゃましました」のご挨拶を申し上げます。


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