第12回 緑陰をゆく遠足 「関野貞展と東京大学本郷キャンパス探索」
日程
- 2005年7月16日(土)
案内人
- 藤井恵介・木下直之(東京大学)
東京大学工学部建築学科所蔵の関野貞コレクションが総合研究博物館で公開されるのを機会に、その調査研究にあたってきた藤井恵介氏の案内解説により、「関野貞アジア踏査〜平等院・法隆寺から高句麗壁画古墳へ」展を見学する。関野貞は明治から昭和初年にかけて活躍した建築史家。法隆寺の再建・非再建をめぐる論争で知られるとともに、 植民地期の朝鮮で数々の古美術・古蹟調査を行った。展見学後は、『東京大学』と『東京大学本郷キャンパス案内』(ともに東京大学出版会)をそれぞれ 上梓したばかりの藤井と木下両氏の案内で、キャンパス内を探索し、遺跡や建物や銅像など東京大学の文化資源に関する理解を深める。とりわけ、工学部の校舎群は、古い建物の魅力を残しつつ再生させる多様な試みを行っており、その内部をも見学の予定である。
行程
- 14:00 東京大学総合研究博物館入口集合
- 14:00〜15:00 「関野貞アジア踏査展」見学
- 15:00〜17:00 本郷キャンパス探索
「第12回緑陰をゆく遠足「関野貞展と東京大学本郷キャンパス探索」に参加して」北原糸子
7月16日総合研究博物館前に午後2時を目処に参加者が続々集まった。今回の解説者は、工学部建築学科助教授・藤井恵介氏(建築史)である。
まずは総合研究博物館で開催中の関野貞展の見学。この人物についてのわたしの予備知識はないに等しいが、この展示を観て、これほどこまめな一種の記録魔のような仕事の積み重ねで、明治期の日本建築史の分野が開かれていったということにいささかの感動を覚えた。関野自身が残した古建築研究のためのメモの数々からは謹厳そうな面持ちの仕事一辺倒の風貌を想像するが、大学を卒業した1895年(明治28)年(1895)の翌年、赴任先の奈良での女湯のスケッチなどは人間臭く、50「ヘエ」以上であることは確実だ。ところで、藤井氏の解説によれば、朝鮮や中国大陸の建築物が失われてしまった現在、こうした詳細なメモは極めて貴重な資料だという。
東大構内の叢のなかには、かつての第一線の学者の胸像や立像が残されている。今回はこの一部も案内していただいた。たとえば、医科大学のベルツ、スクリッパ、佐藤三吉などの教師、建築学では、コンドルの立像、あまりに高くて顔がよくわからなかったが、台座の文字で納得。さらには、近代日本土木行政の基礎を築いた古市公威などは一際大きな像で、椅子に腰掛けてゆっくり現在の学内を眺めている風情だ。わたしは、現在、こうした日本近代の学問的基礎を築いた人物とは、濃尾地震関係の資料でよくお目にかかるので、銅像でお会いしても、なにか懐かしい感じがする。
さて、今回わたしが興味を抱いたのは、東京大学というところは、関東震災を考える上で、キャンパス自体が資料の宝庫ではないかということだ。医学部附付属病院の区画を除く西側の台地上は、関東震災で焼失あるいは使用不能になった建物が集中していた区画だ。
今回の藤井氏の解説は、震災焼失前の姿を残す優雅な化学教室、震災後建てられた建物の様式、色合い、設計者、その建築史上の位置づけ、それに現在盛んに改築されている建物についての建築家としての考え方など、柔らかく軽やかな批評的表現で語られはしたが、作品が残ることで、批判に晒される建築の世界の厳しさを垣間見る思いがした。
日本を支える人材を育成すべき学問の府が関東震災で壊滅的打撃を受けたわけだから、この再建にどのように取り組んだのかは、今後予想される地震対策への示唆を得るためにも、大学
総体で取り組むべき課題であり、また、格好の材料が揃っていると感じたが、どうであろうか。(2005年7月28日)