第7回 夏本番の遠足 「黄の展覧会と旧千代田生命本社ビル」
日程
- 2004年7月24日(土)
案内人
- 降旗千賀子(目黒区美術館)
15:00 目黒区美術館
「色の博物誌・黄―地の力&**空(くう)*の光」シリーズ最終回 の鑑賞
目黒区美術館では、人と色との関わりを“色材”、からとらえる「色の博物誌」と題した企画をシリーズとして開催してきました。‘92年「青」に始まり、‘94年「赤」、98年「白と黒」、2001年「緑」と続けてきました。今回は基本色としては最後になる黄色を取り上げ、本シリーズの最終回として開催いたします。第一部では、現代の表現者達をとらえた黄色の色材を、大地から生まれた物質“地の力”として“黄土”、“硫黄”、“花粉” など魅力的で力強さを感じさせる黄色に着目し、立体作品を中心に構成していきます。そして“地の力”に対して、第二部では、天からの光の象徴である黄色を “空(くう)の光”として取り上げます。黄色は太陽の光を象徴するイメージとして、また実際的にも画面上に表わされてきました。太陽の意味と密接に関係している黄色は、金を代用する色としてのシンボリックな意味も持ち、高貴な色として称えられた色でもあります。これを、第三部では主に中国の皇帝をあらわすシンボルとしての黄色を取り上げその意味と価値をさぐっていきます。最後の第四部では、黄色の素材を集めて、構成します。絵具になった黄色、染料になった黄色など、自然が産出し、人間が見つけた黄色を提示します。さらに、出品作家を中心に、黄色をめぐるワークショップやスライドレクチャーも多数開催、人と黄色の関係をひもといていきます。シリーズ最終回の“黄色の話”をお楽しみいただきます。
16:30 村野藤吾設計(1966)−旧千代田生命本社ビル《現目黒区総合庁舎》のツアー
平成15年、目黒区役所は、村野藤吾(むらのとうご)設計(昭和41年)の旧千代田生命本社ビルへ目黒区総合庁舎として移転しました。その際、文化財的な価値を尊重しながら改修が行われ、村野の意匠の重要な部分は当時の姿をとどめています。日本の近現代建築を語る上で重要な位置にある村野の旧千代田生命本社ビル。今年の2月から4月にかけて、改修前に撮影した写真と図面で《村野藤吾のディテール(旧千代田生命本社写真/図面)展》を開催し、多くの反響をいただきました。村野の建築は、細部にいたりきめ細かな心遣いと仕上げがなされているのが特色の一つにもなっています。本建築内に今も残る美しい茶室や和室、そしてエントランスホールのディテールには、丁寧な設計と仕上げが確認でき、現代の視点からみても、独特の村野哲学が感じとれます。今回は、皆様のためにスペシャルツアーを企画、時間をかけて村野のディテールをご案内いたします。
目黒区美術館「色の博物誌・黄――地の力&空(くう)の光」展/目黒区総合庁舎(旧千代田生命本社ビル)建築ツアー目黒区美術館 学芸員 降旗千賀子
2004年7月の真夏の「遠足」は、都会の小さな公立美術館の,地味だけれどもオリジナリティのある展覧会と、こちらも地味だが人気の建築ツアー文化資源遠足版の2本立ての開催となった。場所は、目黒区美術館と目黒区総合庁舎。案内人は、この美術館の準備室時代から設立に関わり立ち上げてきた学芸員、わたくし降旗千賀子。この黄色の展覧会も、建築ツアーも担当している。 わが目黒区美術館は、1987年に開館、すでに四半世紀を迎えている。美術館がひしめく東京にあって、ちょっとひねった一味違う企画をする美術館として知られている。
さて、今回の「色の博物誌」であるが、1992年の青を皮切りに、赤(1992年)、白と黒(1998年)、緑(2001年)と開催し、黄色はシリーズ最後を飾るテーマカラー。この企画は、色を「色彩」ではなく、「色材」としてとらえ、鉱物、植物、昆虫など、色を構成する原料や材料とその特性から色を視ていくものである。それによって、透明感、不透明感、物質感などの、色がもっている触覚的な視覚を呼び覚まし、色と人の文化史について新たな視点を探っていくことが目的となっている。色材の特性や性格をあらためて見直し、その色材と考古、民族、民俗、歴史、美術などの分野を横断して展示していくという、私一人で担当しているわりにはちょっと壮大な企画でもあり、今まで美術館が見落としてきた「すきま」をみていくような企画でもある。
青と赤は、色材にまつわるエピソードがダントツに多い。青はラピスラズリ、藍銅鉱、藍など、赤は辰砂、ベンガラ、紅花など、物語としてもドラマチックで謎も多く話題に事欠かない。最後のテーマとなった黄色は、それに比べると企画するには大変難しい色であった。
内容を少し紹介すると、絵画でよく使われる黄土、現代美術の素材としての硫黄、そして花粉などを「地」から生まれてくる黄色と捉えた。出品作家は、村岡三郎、若林奮、栗田宏一、ライプ、ニルス・ウドなど。見どころのひとつが、中国で皇帝が使用する色として、不透明色としての黄色にまつわる衣装や器など。つまり万物の中心にすえられた色、すなわち黄色は光であり、神々しい「天空」の色なのである。また、黄色は、にかわや鼈甲、画材で使うリンシードオイルなどの油類、アラビアガムやマスチック、松脂などのメディウムなども、生物・植物から採取される内的な色であったり、時間が経過したり精製した末に、最後に残る色でもあり、永遠の色でもあることなどを素材的に考えると、黄色の意味の新たな視点がみえてくる。
現在、この「色の博物誌」は、私自身の研究テーマとして調査を続けており、その成果は、時々行うセミナーなどで発表している。
さて、今回の遠足の後半の 目黒区総合庁舎建築ツアー は、美術館から徒歩で20分のところにある目黒区総合庁舎に移動していただいて行った。この建築ツアーは、目黒区美術館が2001年からはじめた「めぐろ建築めぐり塾」を一緒に企画していただいている、建築家永井達也氏を中心に立ち上げた建築ガイドスタッフによる解説の人気のツアーで、2013年の今年で8年目に入り、毎年4月から5月にかけて4日間開催のところ、区民一般から専門家、学生まで200名以上が参加するほどの盛況を呈している。目黒区は、建築家村野藤吾(1891〜1984) が1966年に設計した千代田生命本社ビルを、2003年に取得し、用途変更の改修工事を経て、目黒区総合庁舎とした。ちょうど東京オリンピックと万国博覧会の間、高度成長期につくられたこの建物は、村野藤吾の代表作にも数えられ、村野のデザインエッセンスが凝縮された建築として見どころが多く、改修工事は、生命保険会社から区役所へ移行する際に、村野の意図したデザインを尊重しながら行っている。当日は、文化資源遠足版として、特別に開催、永井氏らガイド数名に解説をお願いした。通常開催する春は気候もよく毎回2時間くらいでも平気であるが、さすがに真夏の休日とあって、庁舎内の冷房がきいていないので、うだる暑さの中の建築ツアーは少しきつかったような印象があったが、会員の方々は熱心に聞いてくださった。
大きな池を取り囲むような建物の見どころは、南口エントランスののびやかな美しい庇。ホールの空間と天井の四季を表すガラスモザイク。段裏にも細やかな神経が使われてデザインされた客用の美しい曲線を描く、村野ならではのメイン階段。本館と別館をつなぐ連結を意識した渡り廊下。社員の厚生施設としてつくられた茶室や和室。屋上から外構を含めひとつの物語をひも解くように人と建築の関係にふれながらまわっていく。毎回ツアーを開催するたびに、新しい発見がある。よくぞ残ってくれた建築である。
この建築を残したことによる建築界での目黒区の評価は高い。しかしながら、肝心の区側となると、現実的にはメンテナンス費用がかなりかかるということで眉根をひそめる話も聞こえてくる。さまざまなところの補修や整備に手がまわらないというさびしい財政事情が現実として横たわる。
この建築が千代田生命本社として使われていたときは、隅々まで手が行き届き、改修前に、美術館として撮影に入った時には、まだその余韻が残り、外構のせせらぎ、茶室の庭、南口から広場に降りる築山などは大変美しい景色で満たされていた。私が、2004年に「建築家村野藤吾のディテール 現目黒区総合庁舎(旧千代田生命本社ビル)写真図面展」を開催した際、当時千代田生命につとめ、施設管理に携わっていた方に話を聞く機会を得たが、千代田生命の方々は、村野藤吾のデザインを大事に、建物に愛情を持って接し維持してこられていたことがよくわかった。そして、建物が目黒区のものとなり改修が行われ、一般区民の利用が多くなったところで、広場には赤いコーンが沢山たてられ、せせらぎの水は危ないという理由でとめられ、水際の掃除もゆきとどかなくなった。一般の利用が多い茶室は、使い方が粗く見るたびに痛みが発見される。毎年ツアーを開催するたびに、こうしたこの差はなんなのか、と悩んでも解決しにくい問題に突き当たっている。民間の保険会社と、税金でまかわなければならない区との違いといってしまえば簡単だが、いかに建物に愛情をそそげるか、ということも大きい。目黒区美術館が行っている建築ガイドツアーはそのひとつでもあるが、今の行政にそれを求めるのは難しい。文化資源として建築をとらえていくことのむずかしさを感じている。私にできること。「色の博物誌」展と同様、区の制度の「すきま」にある可能なことをコツコツすすめていくしか手立てはないのかもしれない。