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第31回 神田祭附祭の遠足  「江戸を歩こう」

日程

  • 2009年5月9日(土)

案内人

  • 木下直之(東京大学)
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 文化資源学会は創立5周年記念事業のひとつとして、2007年春に神田祭附祭(つけまつり)復元プロジェクトを立ち上げました。これまでに8回の神田祭研究会を開催するとともに、その実践として2007年5月12日の神田祭には「大江山凱陣」の練り物を出しました。日本橋三越前を出発し、室町、神田、秋葉原、湯島と、江戸時代の神田祭の巡行路をなぞるように、およそ60人の会員が練り歩きました。その様子は、文化資源学会ホームページでご覧になれます。

神田祭附祭復元プロジェクトホームページ

 本年5月9日には、さらに行列の規模を大きくして、神田祭に参加します。その参加者を募集します。唐子や仮装人物などの新たなキャラクターが加わりました。さらに東京藝術大学の学生たちによる造り物(烏天狗と白象)がいっしょに練り歩く予定です。

 神田祭附祭復元プロジェクトは、近代を迎えて廃絶した「附祭」という江戸時代の文化をみなさまとともに復活させる貴重な試みです。なぜ、私たちの社会はそれを忘れてしまったのかと振り返る機会でもあります。

 配役はプロジェクトのワーキンググループで決定しますが参考までに個人的希望(1役のみ)を伺います。希望がある場合は申し込み時にお知らせください。参加枠に限りがございますので奮ってお申し込み下さい。


神田祭巡行に参加して太田由紀 OHTA Yuki(国立公文書館)

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 第31回遠足「江戸を歩こう」は、2009年5月9日の神田祭に附祭「大江山凱陣」の練り物を出し、町中を巡行する企画である。「大江山凱陣」は、大江山に棲む鬼から姫君を救い出した源頼光以下6人の武者が、京の都大路で鬼の首を曳き回した、という伝説を再現した出し物である。神田神社、文化資源学会、都市と祭礼研究会の協力で、近代を迎えて廃絶した神田祭の附祭「大江山凱陣」を復元させたのは今回が2回目。以下巡行当日までを私的な経緯を絡めて報告したい。

 2月16日(月)、参加者募集案内受信。翌日、参加申込。2007年には見送ってしまったが、今回は迷わず参加を決めた。文化の継承に関心がある私にとって、神田祭への参加は、伝統の継承や創造について内側から体験・考察する貴重な機会になるととらえたからだ。行列を構成する15役のうち、女性枠もあった鎧武者を希望した。長身のため男性役が似合いそう、何より衣装が格好よさそうと即決。それに昔弓道を嗜んでいたため武者がどことなく近しく思えた、ということもあった。

 4月11日(土)、事前研究会。場所は神田神社境内の歴史資料館。3月14日(土)の研究会「神田祭に向けて」には参加できなかったため、11日の研究会が参加者との初めての顔あわせとなった。木下直之会長、福原敏男先生、神田神社の清水祥彦禰宜の紹介の後、神田祭附祭の概略、配役の発表と各役の衣装・役割、巡行路についての説明と、2007年神田祭紹介のDVD上映があった。その後本殿に移り、私たちをサポートして下さる清水禰宜からお清めを受ける。神田神社へのご奉仕の成功を祭神(大己貴命、少彦名命、平将門命)に祈願する清水禰宜のお人柄溢れる祝詞、独特の節回しに、一同聞き入っている様子だった。

 この日の配役発表で、希望通り鎧武者ができることを知り胸が高鳴る。武者6名のうち、私には坂田金時が割り当てられた。無学で恥ずかしいかぎりだが、この時点では坂田金時が何者だか見当がつかず、大江山凱陣の物語も理解していなかった。帰宅後ネット検索をし、金時が金太郎のモデルであることを把握する。翌週、職場のお昼休みに同僚らに、坂田金時を担当することになった旨を告げると、皆が口々に、頼光(らいこう)の四家臣、大江山の鬼退治、金太郎、足柄の金時山、金時娘、公時神社などを語りはじめ、にわか金時講座となった。さすがは歴史学徒、と感心。この中で特に金時ゆかりの地、金時山に心惹かれた。難易度の低い山らしい。お祭り前に登ることを決意する。

サンプルイメージ 4月28日(火)、将門塚参詣。同僚から、仕事帰りに大手町の将門首塚に立ち寄り、神田祭と金時の成功祈願をしてきた、との報告を受け、私も出かけることに。平日の夕刻に、周囲の目を気にしつつ手を合わせる。 5月2日(土)、金時山登頂。早朝、神奈川県足柄の金時山へ向かう。御殿場線で通過した駿河小山駅には「金太郎誕生の町 小山町」の縦看板。金時が地域おこしにも一役買っていることを知ると同時に、金太郎伝説の地にやってきたことを実感する。御殿場駅から登山口へ向かい、登山開始から1時間30分ほどで山頂へ。頂上からの富士山の眺望は格別だった。金時山の案内札を読み、金時の解説については、「私のこと」などと言ってみる。記念に元祖金時茶屋の芳名帳へ、金時になりきり千代田区「坂田金時」と記す。また、初節句を迎える甥のために赤い腹掛けを購入し、富士山を背景にまさかりを担ぐというお決まりのポーズで写真を撮り、満足して下山。麓の公時神社で神田祭の成功祈願のお参りを済ませ、任務終了。

 5月5日(火)、こどもの日。6ヶ月の甥っ子に向かい、懲りずに「私が坂田金時」と話しかけ、金時山で入手した腹掛けを着せる。なかなか似合っていた。

サンプルイメージ 5月9日(土)、待ちに待った神田祭神幸祭当日。前日までの激しい雨風が去り、快晴に恵まれた。着替え会場となる明神会館にお昼に集合。着付けの助っ人は、大河も担当するプロの衣装着付け会社の方々。甲冑は腰帯の上に置くように装着されたため肩への負担はなく、予想していたほど重くはない。仮装後は皆、見違えた。本殿前での記念撮影では芸能人の記者会見は斯くや、と思われるほどのフラッシュを浴び、晴れがましい気分になる。ワゴン車や地下鉄で日本橋堀留町の堀留児童公園へ移動し待機。ここで鬼の大首、東京藝術大学の学生たちによる造り物(烏天狗と白象)、ケロロ軍曹らと合流し、16時10分に行列出発。武者の横には、各武者の名を記した幟を持つ幟持ちが付いた。日本橋三越前、室町、神田、秋葉原、と巡行路を進むなか、沿道からの喝采、「金時さん頑張って」との掛声に気持ちが高揚する。巡行中も、衣装の乱れを直すべく衣装係が随行。カンカン帽姿の清水禰宜も同行なさる。秋葉原までは交通整備が厳しく信号で立ち止まることが多かったが、秋葉原からは、道路は完全にお祭りのものになる。予定通り18:30に神田神社到着。長い道のりであったが疲れはない。本殿前で清水禰宜のお詞とお払いを受け、参拝し、練り物は終わった。鎧に愛着が湧き、役割終了後に脱ぐのが惜しかった。武者は皆同じ気持ちだったようだ。最後の最後に鎧兜から普段着に戻り、見られる側から見る側にまわり、周囲を巻き込んだ私の神田祭は終わった。実際に参加したお祭りは、見学だけよりずっと楽しい。江戸時代の人々も仮装を心から楽しんでいたに違いない。神田祭の在り方はこれまで変化し続けてきたが、祭りに参加し楽しむ人々の思いに変化はないだろう、というのが今回の附祭を体験した私の感想だ。

 すっかり祭の魅力に目覚めた私は翌週の三社祭にも出かけた。こうやって関心が拡がっていくのが学会遠足のいいところかもしれない。近いうちに金時山へお礼参りに行こう、とも考えている。金時を配役してくださった神田附祭復元プロジェクトのワーキンググループと、これまで復元にあたっての研究を進めてこられ、貴重な機会を可能にしてくださった方々に感謝したい。


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