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第30回 バレンタインデーの遠足 「河鍋暁斎記念美術館を訪ね、河鍋楠美さんのお話を聴く」

日程

  • 2009年2月14日(土)

案内人

  • 木下直之(東京大学)
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春、京都国立博物館で河鍋暁斎の大規模な回顧展が開かれました。しかし、20年前には、暁斎はほとんど忘れられた画家でした。再評価は近代美術史の見直しによるものであることはいうまでもありませんがその原動力となったのが、暁斎の曾孫にあたる河鍋楠美氏の精力的な活動です。楠美氏は、1977年に、蕨市の自宅に河鍋暁斎記念美術館を開設し、研究会を組織し、研究誌『暁斎』を刊行しました。さらに、海外調査も重ね、多くの作品を内外で発掘してきました。今回は暁斎の作品群を見学するのみならず、一個人が建設し運営する美術館そのものも見学の対象とし、暁斎の再評価と美術館の実現に情熱を捧げて来られた河鍋楠美氏のお話をたっぷりとうかがう機会とします。


バレンタインデーの遠足「河鍋暁斎記念美術館を訪ね、河鍋楠美さんのお話を聴く」に参加して三石 恵莉 MITSUISHI Eri(東京大学)

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 2009年2月14日。埼玉県蕨市に31名ほどの会員が集まった。河鍋暁斎記念美術館、そして河鍋楠美先生を訪ねるためである。

 河鍋暁斎(かわなべきょうさい:1831‐1889)は、幕末から明治前半にかけて活躍した、強烈な個性をもつ絵師。2008年に京都国立博物館で没後120年を記念した大規模な展覧会が行われるなど近年注目を集めているが、第二次世界大戦後「美術史上に暁斎の名が見えない」時期が続いたという。暁斎再評価の機運を作ったのが、暁斎の曾孫であり暁斎記念美術館の館長であり本日お話ししてくださる河鍋楠美先生(以下、勝手ながら楠美先生と呼ばせていただく)その人である。

 集合場所は、楠美先生が院長を務められている蕨眼科の3階。ホームページに掲載されていた詳細な地図のおかげで、方向音痴の筆者も道に迷うことなく蕨眼科にたどりつくことができた。階段を上る途中2階までは小人の置物があるが、2階から上は蛙の置物になる。蛙は、3歳のときに初めて描いて以来、暁斎お気に入りのいきもの。ここから暁斎ワールドに突入か、と期待させてくれる、にくい蛙である。

 美術館紹介DVDの上映後、13時から楠美先生の講義「暁斎の顕彰運動」が怒涛のスライドとともに始まった。幼い頃は、近所でも絵師として知られた「河鍋」の名がいやだった、と語り始めた楠美先生。暁斎の娘・暁翠も日本画家として活躍するが、楠美先生は「絵をかいてはいけない」という厳しい家訓のもと育てられたという。

 暁斎の絵の面白さに惹きつけられて調査を始めるも、国内の美術史界では研究する人もいない状況であったため、オランダ、イギリス、フランス、アメリカ、デンマーク、ドイツ、中国等々の海外調査へと乗り出していった。日本と異なり、海外では暁斎の作品が多く残っており評価も高かったのである。暁斎の弟子として「暁英」という号をもつようになるイギリス人建築家ジョサイア・コンドル以外にも、暁斎はドイツ人医師ベルツ、フランス人実業家ギメをはじめとした、幅広い交友関係をもっていた。それゆえ、上述のように作品が海外に多く伝わったのであろう。

 暁斎顕彰のため楠美先生が行われた数々のことがらの中でも、無縁墓となりかけていたコンドルの法要をとりおこなった、というくだりは特に印象深かった。(なお、遠足後に調べたところ、護国寺にあるコンドルの墓は1985年11月1日付で文京区指定史跡になったとのことである。)

サンプルイメージ 他にも、1977年に暁斎記念美術館を創設した効果として、暁斎の名が忘れられていたがゆえに焼かれたり捨てられたり処分されたりするところであった作品を救うことができた、という例が興味深かった。下絵があるのに完成作品がまだ発見されていないものがまだまだある、作者不明になっているものの中にも暁斎の作品があるはず、と力説する楠美先生。今後はデザインや立体作品など、更なる暁斎研究(そして暁翠研究)を展開していくという。情熱がほとばしる楠美先生の語りを拝聴して、先生の存在抜きでは、今日の暁斎人気は在りえなかったということを実感した。

 あっという間に15時になり、楠美先生は午後の診療へ、会員はバスに乗り河鍋暁斎記念美術館へ。自宅を改装して創設された美術館では1、2ヶ月ごとに展示替えをし、常時40点ほどを展示している。今回の遠足では、2月25日まで開催の「除魔招福」展を拝見した。貴重な暁斎の下絵を間近で見る眼福。生の線に力量の高さを感じたり、暁翠の作品と画風を比較したりして、眼の勉強になった。

 そして、ここでも出会った蛙(の石行燈)に、思わずにやり。

 美術館のとなりにあるミュージアムショップでは、書籍やオリジナルグッズを求める会員がレジ前に列を成した。勿論、筆者も列を長くするのに貢献した。その結果、17時からの懇親会に遅れないよう、バス停まで走る羽目に。

 何とか間に合った蕨眼科3階。ニコル・C.ルーマニエール先生に乾杯のご発声をいただき、装いも新たに登場された楠美先生を囲んで和やかな懇親会が始まった。お酒、おつまみ等は楠美先生が選んでくださったのだという。2時間弱で楽しい会もお開きとなったが、楠美先生を称え今後の益々のご活躍を祈念するため、有志で赤羽に繰り出した。畳に座ってお酒を酌み交わし美味しいうなぎをいただきつつ、暁斎の時代の書画会に(ちょっぴり)思いを馳せた。「なぜ、こんなに面白い画家を忘れてきたのか」という木下会長の問いを心の中で反芻しながら。

 そして、帰りの電車の中で美術館のパンフレットを読んでいて気付いたことが一つ。「日曜講座:暁斎 その人と美」の第1回「七福神の話」の開催日が2009年2月15日(日)となっているではないか。つまり、翌日である。講師は楠美先生。

 何というバイタリティであろうか。

 お忙しい中、正に仕事の合間を縫ってご案内いただいた楠美先生、加美山史子様、館の皆様に、改めて感謝する次第である。


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