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第25回 初春の遠足  「ヴォーリズ建築を訪ねる」

日程

  • 2008年2月16日(土)

案内人

  • 宮下規久朗(神戸大学) 

解説者

  • 田平麻子(滋賀県立近代美術館)
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このたび、滋賀県立近代美術館では、文化資源学会の後援をいただき、「信・望・愛―理想の居場所をつくる ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」を2月9日(土)から3月30日(日)まで開催しています。

 「近江八幡は世界の中心である」と唱えて活動の中心にすえ、近江ミッション(現在の近江兄弟社)を設立するなどキリスト教主義にもとづく幅広い事業を展開したヴォーリズですが、今年2008年はヴォーリズが建築設計監督事務所を開業してからちょうど100年にあたります。この展覧会ではヴォーリズが残した建築作品を写真や建築図面、映像資料、模型や資料などから紹介し、生活との調和をめざしてヴォーリズが作り出した建築空間の特徴を学校や教会、商業建築や住宅などの作品のなかに見てゆき、建築をとおして理想の生活を築こうとした、ヴォーリズの活動と思想の系譜をたどります。また会場にはヴォーリズ が軽井沢に設けた山荘(浮田山荘〈旧ヴォーリズ山荘〉)を実物大で再現します。

 滋賀県近江八幡市は、全国で初めて国の重要文化的景観の選定を受けています。重要文化的景観「近江八幡の水郷」が、自然と地域の人々の生活が結びついた、価値の高い文化的景観であると評価されたのです。琵琶湖の美しい自然を擁した近江八幡市は、また歴史の街でもあります。豊臣秀次によって拓かれ、江戸時代からは天領となり、徳川家康がこよなく愛した地でありました。この地を拠点として「近江商人」たちが全国各地に向けて商いを行いました。市内には歴史を思わせる古い商家の町並みが残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

 その美しく歴史ある町並みの中に、ヴォーリズの作った洋風建築が数多く残されています。

 特に池田町の洋館街は、大正初期に近江ミッションの住宅地として生まれたもので、当時においては画期的な洋風住宅地区でした。100メートルほども続く低い煉瓦塀のなかは芝庭と花壇を設けた米国コロニアル・スタイルの住宅で、「アメリカ町」といわれたところです。ここに昭和初期にかけて多くの来客や見学者を向かえ、地域においては料理講習会など、教育、文化交流がなされていました。この住宅地はヴォーリズによる住宅モデルであったと同時に、当時より始まる日本住宅の近代化、洋風化に影響を及ぼしたものと見られています。

 その他、ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ邸)や近江兄弟社学園、旧八幡郵便局、近江八幡市立資料館(改修がヴォーリズ)などヴォーリズの建築を、近江八幡の歴史ある町並みとともに皆さまに堪能していただける一日となることと期待しています。


初春の遠足「ヴォーリズ建築を訪ねる」に参加して長嶋由紀子  NAGASHIMA Yukiko(東京大学/早稲田大学)

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 文化資源学会初の関西方面遠足の行き先が近江八幡だと聞いて、迷わず参加を決めた。「近江八幡の水郷」が文化財保護法の重要文化的景観制度第一号に認定された後、地図を眺めていたのは一昨年のこと。豊臣秀次の城下町に起源をもつ碁盤目状の町並み、そこから水郷を経由して琵琶湖へ連なる水路となる八幡堀、そして何故か点在している洋風建築。遠足のテーマは、ウィリアム・メレル・ ヴォーリズ(1880-1964)の建築と生涯である。滋賀県立近代美術館の展覧会「信・望・愛―理想の居場所をつくる ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」を鑑賞した後、小雪舞い散る近江八幡で、教会や住宅、学校などヴォーリズ建築の数々を巡るまち歩きの一日だった。

 アメリカ・カンザス州に生まれ、1905年に滋賀県立八幡商業高等学校に着任したヴォーリズは、近江を生涯の拠点に定め、実業家・建築家として活躍した。今も全国で活用されている西洋建築は、個人宅や教会だけでなく、とりわけミッション系の学校建築が多いから、誰の作品だとことさらに意識することなく、中で学園生活を過ごした人はかなりの数にのぼるだろう。そもそも「伝道」を志して来日したヴォーリズが立ち上げた事業(商社、メンソレータム製造販売、建築事務所もそのひとつ)は、信仰共同体「近江ミッション」の資金調達を目的としていたという。彼は1941年に日本国籍を得て一柳米来留(米国から来て留まる)と改名、1958年には近江八幡市名誉市民となり、1964年にこの地で亡くなった。

 当日朝の集合場所は、大津市の滋賀県立近代美術館。「文化ゾーン前」でバスを降りる。市街から離れた場所に森林公園のような空間を整備、美術館や図書館、茶室、遊具施設を配し、近辺に大学を誘致する行政の計画で誕生した「文化ゾーン」。市民の「文化」的余暇をデザインした高度経済成長期の設計図の中を歩いていることを思いながら美術館へ着いた。学芸員の田平麻子さんにご説明をいただいたあと、豊富な写真や資料でヴォーリズの活動と思想、各地の建築作品が紹介された展示を見学する。来日まもないヴォーリズを囲む青年たちの表情を見ていると、若い英語教師の何が彼らを魅了したのかを知りたくなる。彼と建築家のレスター・チェービンとともに「ヴォーリズ合名会社」を立ち上げた吉田悦蔵もそうした学生のひとりである。事業を大きく発展させる一方で、彼らは伝道船「ガリラヤ丸」で琵琶湖岸の各村を回り、教会、サナトリウム、学校、住宅を建て、湖の国に理想郷を築こうとした。

 展示では、個人住宅、教会建築、学校建築、商業建築など多くの建築作品が豊富な写真や設計図で紹介されていた。大学キャンパス全体をデザインするようなプロジェクトもさることながら、強く印象に残るのは、「最小限の住宅設計」であるヴォーリズ自身の軽井沢の山荘(1922年)の実寸大模型だ。「台所と寝室があれば家です。けれども、家とホームは違います。居間ができて初めてホームの資格になる」(『吾家の設計』1923年)。交流の場を中心に考える最小ユニットは、より大きな建築にも反映されているのではないだろうか。

サンプルイメージ 近江八幡へ移動し、駅前の近江金田教会を見学。バスで中心街へ向かった。八幡堀周辺の町並みを散策後、ヴォーリズ記念館へ。質素な板張りの外観の建物は、ヴォーリズ夫妻の後半生の自宅である。ヴォーリズの「神の国」の思想について伺い、音楽愛好家でもあった彼の作による賛美歌を一同で(ぎこちなく)合唱した後、生前の夫妻の暮らしぶりに触れた。続いて訪れた近江兄弟社学園ハイド記念館は、夫人一柳満喜子が創立した清友園幼稚園の園舎として、メンソレータム創業者アルバート・アレキサンダー・ハイドの夫人からの建設費用寄付により建設されたものだ。暖炉のある教室、広い窓、園児用のゆったりした収納、ごくゆるやかな勾配の階段など、中にいる者をやさしく包み込むような建物では、中学校の吹奏楽部が練習していた。

 ふたたび町に出る。元近江八幡郵便局の外観を見学し、近江八幡市立資料館から、江戸時代に朝鮮通信使が通った「朝鮮人街道(京街道)」にあたる商店街を抜けて、ヴォーリズ建築の個人住宅がならぶ池田町の洋館を外側から見学した。展覧会の展示写真でディテールに見入った住宅の窓や、来客を迎える明るく広い玄関部が木立に囲まれた住居としてそこにある。近江八幡でみたヴォーリズ建築の外観のスタイルは一様ではなく、用途や暮らしに応じてさまざまである。洋風2階建ての元警察署である市立資料館も、ヴォーリズ事務所が手がけた建築であると昨年ようやく中庭の石碑から認定されたそうだが、資料館の方がこれをヴォーリズ建築であると主張してきた根拠は、「窓から差し込む光が、子どもの時に通っていた教会の光と同じだから」。その言葉に、建物は見るよりむしろ内部から空間の感覚として捉えられるものであることを再認識した。

サンプルイメージ 水運の役割を終えた八幡堀は、昭和40年代から50年代にどぶ川と化したことがあり、埋め立てて駐車場として整備する行政の計画が進行中だったところ、地元青年会議所の動きで文字通り人手がはいり、再生されて現在の姿となった経緯がある。振り返ると、この日の印象を象徴するように浮かんでくるのは、展覧会で見た内向きの矢と外向きの矢で満たされた二つの円(「新しく生まれ変わるべき心の図」)だ。ヴォーリズ自筆の説明には、「自己中心的な心は八本の矢だけでいっぱいになるが、神中心の心から外へ向かう矢は円が広がるにつれて無限に進むことができる」とあった。ひとりの人間の内から外へ向かい世界をつくるエネルギーは、信仰によって明確に意識されずとも、実はこの地に長らく息づいていたのではなかっただろうか、と思う。実業家としても成功したヴォーリズの足跡には、江戸時代から近江を本拠に日本各地で活動した近江商人の経営観「三方よし」(当事者だけでなく周囲の幸福につながる取引に価値をおく)とどこか重なるところがある。二十世紀初頭にやってきた若い英語教師は、おそらくは偶然舞い降りた土地に適した種子であって、肥沃な土壌と還流しながら大木となり、今もここに立っているのではないか。彼の生涯を取り巻いた人たちは、外向きの矢の持ち主ではなかったのか、そして現代の「まちづくり」を進めようとする人間も。一日を思い出しての気ままな想像である。


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