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第22回 小暑の遠足  「紙芝居の歴史をたどる。未来を予見する〜「新紙芝居創世記」公演の見学」

日程

  • 2007年7月8日(土)

案内人

  • すずき佳子/ゲスト:上島敏昭(浅草雑芸団)、クマガイコウキ(映像作家・「蛇蝎姫と慙愧丸」原作者)
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街頭紙芝居は、テレビ文化誕生の基礎を作りながら、テレビの発展とともにその役割を終え、昭和40年代にほぼ消滅した大道芸。教育教材として生まれ発展した「教育紙芝居」とは似て非なる文脈をもつ。絵は、1枚1枚が全て手書きで、その文化財的価値が見直されて近年は博物館や図書館が収蔵する傾向にある。一方、パフォーマンスとしては、映像の氾濫する2000年代にいたり、そのライブ感覚が注目され、実演される機会が増えてきている。こうした風潮のなか、現役最高齢の紙芝居絵師・佐渡正士良(明治44年生、95歳)が描いた長編紙芝居が完成した。「蛇蝎姫と慙愧丸」(30巻330枚)。原作は映像作家クマガイコウキ。口演は講釈師・神田陽司が担当、ライブ音楽も交えて、2006年11月、仙台で披露目公演をおこない、評判を呼んだ。

この「蛇蝎姫と慙愧丸」が浅草・木馬亭で紹介される。主催は浅草を拠点に活動する浅草雑芸団(代表・上島敏昭)。公演では、現役紙芝居絵師・森下正雄氏(84歳)による得意の「黄金バット」で正統派街頭紙芝居とも交流し、また、紙芝居の先行芸能である、江戸写し絵(劇団「みんわ座」による復元)、のぞきからくり(浅草雑芸団による復元)も実演し、日本の伝統的視聴覚文化の変遷をたどる内容となっている。

遠足前半の解説では、「蛇蝎姫と慙愧丸」の制作を手がけたすずきが案内人となり、街頭紙芝居文化の現状と新作制作に至った経緯や難しさを原作者・クマガイ氏と紹介するとともに、公演を企画した上島氏を交えて、大道芸など伝承が難しい大衆芸の保存活動の取り組みの一端を伺う。


泥臭い昭和のエネルギーを見る小泉吉宏 KOIZUMI Yoshihiro(漫画家)

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 オジサンだけど白ちゃんと黒ちゃんという、可愛い愛称の二人の紙芝居屋が、昭和三〇年代に自転車でうちの近所を交代で回っていた。

 チョンチョンと遠くから拍子木の音が聞こえると、子どもたちは空き地に集まってくる。当時はあちらこちらに空き地が残っていて、子どもたちの遊び場として自由に使われていた。空き地に着くと、紙芝居屋のおっちゃんの傍に自転車が置いてある。その荷台に木製の引き出しが載せられていて、その引き出しの中から蝦煎餅やソース煎餅、水飴が出てくる。引き出しの上には紙芝居の舞台が折り畳まれて載せられている。子どもたちがお菓子を買い終わると舞台が立ち上がり、お楽しみのお話が始まる。子どもたちにとっては、娯楽とお菓子がセットになった、安上がりな至福の時間だった。

 もっとも兄たちに許されていた紙芝居鑑賞を、撲は親から禁止されていた。戦後の貧しい時代から高度成長期に入り、我が家にも妙な中流意識が芽生えたのか、紙芝居屋が売っているお菓子は不衛生だというのがその理由だ。

 それに僕は物心ついたときから毎週のように映画館に連れてってもらっていたし、六歳のときにはテレビが我が家にやってきていた。そのうえ貸本マンガや自分と兄と姉が毎月講読していたマンガを読みあさり、当時は紙芝居よりずっとニューメディアだったそれらの洗礼を受けていた。

 そのせいか、少年時代、紙芝居を見たのはわずかに二回。物語の内容は覚えていない。むしろ禁止されていた蝦煎餅と水飴の味だけが忘れられない。

 だから今回の紙芝居イベントは懐かしいというより新鮮だった。『黄金バット』は突っ込みを入れたくなるB級映画の良さを持っているし、写し絵は江戸時代のSFXともいえる驚きの体験だった。バリ島で見て驚いた影絵は日本にもあったんですね。

サンプルイメージ 二時間をかけた紙芝居公演というのは、舞台芸術の可能性を見せてくれた。街頭紙芝居を知らない一九六二年生まれで、紙芝居を語りきった講談師神田陽司氏の功績も大きいものと思う。

 それにしても佐渡正士良氏のエネルギッシュな絵のルーツはどこにあるんだろう。物語の内容のためか、ときとして絵金の絵を思わせる血なまぐさい絵の奥に、昭和の優しさが見える。昭和二〇年代の映画の看板のようでもある。洗練していくとSF『火星シリーズ』の武部本一郎氏の挿絵のようになりそうだ。武部氏と依渡氏はほぼ同時代だから、時代の空気があるのかもしれない。同時代で思い出すのは小松崎茂氏。やはり共通する空気がある。『黄金バット』の作者でいえば、永松健夫氏より加太こうじ氏の絵に近い。一見どぎつく見えるのは物語のせいだけではなく、もしかしたら関西独特のものかもしれない。マンガも昭和二?三〇年代、東京ものに比べて関西はどぎついものが多かったようだ。

 それにしても佐渡氏、全三十巻を九十五歳で描かれるとは脱帽だ。調べたら同時代としてあげた武部氏、小松崎氏より三、四歳年上だった。

 知人の中野晴行氏が水木しげる氏に取材して得た情報によると、水木氏が描いていた阪神画劇社の紙芝居一巻(十枚)あたりのギャラは、線も色も仕上げて五百円から六百円だったらしい。神港画劇から『怪傑ゾロ』でデビューした佐渡正士良土は、三邑会の依頼で描くと三割から四割高く買ってもらったという。(イベント当日いただいた資料では千円と書いてある。)ちなみに大工の日当は五百円だったらしい。佐渡氏、一日に二?三十枚描いたんですね。

 今回の『蛇蝎姫と慚愧丸』全三十巻、三百三十枚。紙芝居でこんなに長い話があるのかと思ったが、マンガ家酒井七馬氏が紙芝居作家左久良五郎として描いた『女忍者』は全三十一巻、『透明怪人』も全二十七巻あったようだ。もっとも一気に演じることは、当時はなかったことだろう。貴重な時間だった。

サンプルイメージ 紙芝居作家左久良五郎であり、手塚治虫氏の出世作『新宝島』の原作・構成者である酒井七馬氏について、もっと知りたい方は中野晴行氏の『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(筑摩書房刊)をご覧いただきたい。

 中野氏の話によると、二〇〇四年から左久良五郎の『原始怪物ガニラ』を、上方講談の旭堂南湖氏が高座で口演しているらしい。こちらも拝見してみたいものだ。ちなみに南湖氏も一九七三年生まれで、街頭紙芝居を知らない世代だ。

 それにしてもクマガイコウキ氏の荒唐無稽SF伝奇物語を佐渡正士良氏の画風で描くと、どこか二十一世紀的科学と昭和レトロの融合で、なぜか核物質をヒシャクで酌んでバケツで運んでいる姿が思い起こされた。ちと怖かった。


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