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第19回 節分の遠足 「映画保存の現場をたずねる〜東京国立近代美術館フィルムセンター・相模原分館〜」

日程

  • 2007年2月1日(木)

案内人

  • 高野光平(東京大学)/解説者:とちぎあきら(東京国立近代美術館フィルムセンター)
サンプルイメージ

日本におけるフィルム保存の最前線を体験すべく、神奈川県相模原市にある東京国立近代美術館フィルムセンター・相模原分館を訪問する。

フィルムセンターは1970年に開館した映画保存の国立専門機関で、国立近代美術館の映画部門(1952年設置)にその起源を持つ。おもな業務は国内外の劇映画・記録映画・アニメーション映画・ニュース映画の収集・安全保管・保存・復元、調査・研究、公開、そして映画文化・芸術の振興である。国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)の正会員であり、世界各国の映画保存機関とも連携している。中央区京橋にある本館では、年間を通じて所蔵フィルムの上映があり、展示施設や専門図書室も備えているなど、映画文化の高いレベルでの資源化を果たしている。具体的な活動はホームページ(http://www.momat.go.jp/FC/fc.html)を参照されたい。

フィルムセンターの諸活動のうち、とくに安全保管と保管のために必要な検品・調査に関しては相模原にある分館で行っている。分館は全体で18室からなる保存庫を備え、35mmフィルムで約200,000缶(長篇映画に換算して約40,000本)の収蔵能力をもっている。地下1階の各保存室内は、室温10℃±2℃、湿度40%±5%に設定され、ニュース映画や寄託フィルムの保存に充てられる。地下2階は室温5℃±2℃、湿度40%±5%に設定され、所蔵フィルム全般の保存に充てられる。さらに、長年の劣化のため酢酸ガスを発しているいわゆる「ビネガー・シンドローム」のフィルムについては、他のフィルムに酢酸ガスの影響を及ぼさないように特別の保存室が設けられ、室温2℃、湿度35%に設定されている。これらの保存室は、温湿度条件を常に保持するため自動空調システムを完備し、24時間体制の集中管理を行っている。

また相模原分館では、かつての可燃性(ナイトレート)フィルム、損傷したフィルム、不完全なフィルムなどの修復・復元も担当し、現像所出身などの技術者が日々、危機に瀕したフィルムを救い出している。

今回の遠足は、保存庫の見学と修復作業の見学を組み合わせておこない、さらに付設のホールにおいて発掘・復元の最新成果である映画の試写を行いたい。

行程

13:00 JR横浜線・淵野辺駅南口集合、徒歩移動
※遅刻なきようご注意ください。
13:30-13:45 保存業務概説(とちぎ氏)
13:45-14:45 見学
A班 保存庫→検査室(各30分)
B班 検査室→保存庫(各30分)
15:00-16:30 試写(タイトル未定)
16:45 解散

私たちが見学したエリアはロマンポルノだらけ高野光平(茨城大学)

今回の遠足は、東京国立近代美術館フィルムセンターの相模原分館を訪れました。フィルムセンターは1970年に設立した映画保存の国立専門機関で、国内外の映画フィルムの収集・保管・復元、調査・研究、公開などをおこなっています。そのうち、安全保管と検品・調査は相模原にある分館で実施しており、その様子を見学することにしました。22名の参加者は2班にわかれ、地下保存庫と検品作業の見学を交互におこないました。保存庫は同センター学芸員のとちぎあきら氏に案内をお願いしました。
 まずはシンドラー社製のエレベーターに乗って、地下保存庫へ。地下1階の各保存室内は室温10℃± 2℃に設定され、ニュース映画や寄託フィルムの保存に充てられます。2月にしては過ごしやすい日だったせいか、10℃の保存庫は意外と寒く、とちぎ氏の解説を聞く参加者は心なしか体をゆすって寒さをしのいでいました。寄託フィルムはひとつひとつ銀色の缶に入れられ、特注の可動棚にギッシリと収められています。その近未来的な姿はなかなかに壮観でしたが、缶をよく見ると「○○女子高生」とか「おねだり○○」といったタイトルばかり。どうやら私たちが見学したエリアはロマンポルノだらけだったようです。来るもの拒まずのフィルムセンターですが、フィルム・クリティークが積極的にロマンポルノを対象化してきたことも、この保存に関係しているのでしょうか。
 地下2階に移動しました。ここには、長年の劣化のため酢酸ガスを発しているいわゆる「ビネガー・シンドローム」のフィルムが、他のフィルムに酢酸ガスの影響を及ぼさないように特別の保存室に置かれています。室温2℃、湿度35%の部屋はかなり寒く、死なないように粘っている酸っぱいフィルムたちの頑張りにエールを送る声も、白く曇っておりました。
 次は検品の見学です。現像所出身の技術者3名が、入荷したてのニュース映画をビューワーにかけてチェックしていました。モノは戦前のニュース映画でしたが、戦後に作りなおしたネガということで、フィルムの状態に問題はないようです。技術者たちはネガポジ反転モニターを見ながらチャプターごとにキャプチャ画像をとり、基本的な情報をメモしつつフィルムをチェックしていきます。フィルムに命を懸けてきた男たちが、定年後、その余生をフィルム保存の下支えにささげる図は、静かに私たちの心を打ちます。参加者はめいめい彼らと言葉を交わしながら、検品の様子を見学しました。
 見学終了後、参加者たちは付設の上映ホールに移動し、とちぎ氏の解説とともにフィルム発掘・復元の最新成果をいくつかじっさいに鑑賞しました。とちぎ氏のもっとも基本的な主張は、「何をもって“復元”とするかは、発見されたフィルムの状態による」というものです。すなわちボロボロのフィルムを何とか映写機にかかるレベルに戻すことも「復元」だし、良好な状態で発見されたフィルムが、100年近く前の日本を驚くべき鮮やかさでよみがえらせることも「復元」である。発掘と復元の物語は、個々の発見フィルムによって個別的に論じられる必要があるわけです。その主張にしたがって、いくつかのパターンの復元フィルムを鑑賞しました。
 最初に見た「東京行進曲」(1929年)は、画面も汚く、フレームはガタガタと揺れ、なんとか鑑賞できるというものでした。しかしこれでも、できることはすべてやった立派な復元成果なのです。一方、次に見た「小林富次郎葬儀」(1910年)は明治時代の映像とは思えない、わが目を疑うほどクリアーな映像でした。遺族が桐箱に入れて大切に保存していたとのこと、こういうケースもあるのですね。「保津川の急流」(1906年)はとても古いフィルムですが、美しい染色がほどこされており、こちらもきれいに見ることができました。
「政友会総裁・田中義一氏演説」(1928年)は現在確認できる最古のトーキーフィルムだそうです。シュールな擬人化が衝撃的なアニメーション「茶目子の一日」(1931年)は、フィルム自体はサイレントですが、同時演奏するレコードが現存していたため、それをあわせてトーキー風に復元したもの。SPレコードは片面数分しか入りませんから、当時はどうやって上映していたのでしょうか?
 次はデジタル復元の実例です。肝心のクライマックスでバナナのような引っかき傷が画面を踊るのを消去した「瀧の白糸」(1933年)、そして激しく退色したカラーフィルムを、当時の撮影スタッフの証言に基づきデジタルで驚くほど鮮やかに復元した「新平家物語」(1955年)のデモフィルムを鑑賞しました。フィルムセンターは保存媒体について「あくまでフィルム」を主張し、デジタル保存を追求しませんが、修復過程に関してはデジタルを重視する傾向にあり、積極的に方法を研究しているのだそうです。
 そして最後に「不壊の白珠」(1929年)。内気な姉と活発な妹。姉が慕っている男性に妹が手を出し始めた。さあどうなる! という肝心のところで復元フィルムはおしまい。その後駅前の飲み屋に移動して、よもやま話に花を咲かせて節分の遠足は終了したのでした。

追記:「小林富次郎葬儀」のオリジナルネガフィルム、および上映用ポジフィルムは、2011年に国の重要文化財に指定されました。

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