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第18回 秋深し遠足 「伊東忠太の世界を訪ねる」

日程

  • 2006年11月25日(土)

案内人

  • 木下直之(東京大学)

解説者

  • 山口俊浩(宮内庁管理部)
サンプルイメージ

伊東忠太のフィールドノート、葉書絵、水彩画、図面、書簡、写真、蔵書など、遺族のもとに遺された膨大な資料が、今から10年前に建築学会に寄託され、整理・調査・研究が続けられてきました。2000年にそれらが伊東家から建築学会に寄贈されたあとは、同学会建築博物館の所蔵資料となり、保存と公開に向けた整備作業が拡充され、2 度の展覧会開催を通し、研究成果が示されました。

今回の遠足では、伊東忠太の資料を実際に見せていただくとともに、資料整備小委員会のメンバーとして整理と調査に携わって来られた山口俊浩氏の解説により、さまざまな形態と性格を有する遺品群がどのように建築資料となったのかについても学ぶ機会とします。このプロセスは、われわれのいう「資源化」の好例だと考えますが、決して容易な道ではなく、その実践を通して直面した困難や限界についても教えられることは多いと思います。(木下直之)

伊東家は代々、米沢の地において、医術を生業にしてきました。維新後も、忠太の父が軍医,兄が九州帝大医学部教授を務めていましたが、なぜか忠太のみが建築を志し、厖大な資料を残すことになります。

忠太以降の伊東家では、医者や建築家を輩出することはなかったものの、清国の民具や動植物の標本などを積極的に蒐集し、家には、医学,建築,民俗,生物など、多種多様な資料が蓄積されていました。そして忠太の没後、遺族らによって、家に残された厖大な資料の整理が進められ、そのうち建築に関わるもののみが建築学会に 寄贈されました。

サンプルイメージつまり伊東忠太資料とは、伊東家伝来資料の極一部であり、現代社会における資料管理の時流が生み出した新資料群といえます。

当日は、原資料をご覧頂きながら、資料の形成過程や存在意義を改めて考えてみたいと思います。また資料は、現在も整備中であることから、破損状態や包材の調整について、事例紹介をさせて頂きます。(山口俊浩)


伊東忠太の厖大な資料を直に見る平井利一

明治生まれの建築家、伊東忠太の作品は、代表作である築地本願寺のほか、東京ならば湯島聖堂、靖国神社(遊就館など)、震災記念堂(現東京都慰霊塔)、大倉集古館(ホテルニューオータニ内)、一橋大学兼松講堂、京都ならば平安神宮、祇園閣、真宗信徒生命保険(現西本願寺伝道院)などをいまでも見ることができる。
 明治以後の近代建築は、西洋の様式と技術を取り入れる傾向が主流だった。そんな中で伊東は少しばかり異色である。建築界が“西洋” を吸収するのに専念している中で日本建築の歴史に着目し、法隆寺建築に関する論文をまとめる。それを契機に彼の関心はアジアの建築史研究に発展し、1902年(明治35)に北京・西安、ビルマ、インドへと探訪の旅に出る。この旅行は、さらにトルコ、ギリシャ、エジプト、そして欧米にまで続き、3年間もの長期にわたった。伊東は、こうした過程での見聞や収集したデータから、近代建築の目標を様式だけでなく材料・構造などを含む幅広い視点から研究、咀嚼し、その後の設計に“アジア様式” をとりいれて多くの作品を残した。
 今回の遠足の目的は、伊東忠太が残した膨大な資料を見せて頂くことであった。資料の内容は、上記に関わるものも含めて、以下のように分類されている。
 @野帳、A葉書絵、B日記(「うきよの旅録」)、C図画集・旅行記等、D法隆寺関係資料、E書簡、F古写真、G摺拓本、H地図、Iスケッチ・下絵類。
 これらの資料は、長年伊東家に保存されていたもので、1996年(平成8)に日本建築学会に寄託された。学会では特別研究委員会を設け、3年かけてそれらの資料を整理するとともに特質・価値を明らかにして報告書を出した。引き続き研究委員会を資料整備委員会に改めて、保存・公開を目的とした整備活動を行い、2000 年(平成12)にはご遺族から正式に寄贈されることとなった。
 遠足で訪問したのは、休日のため閉館されている建築学会の図書館、ご案内くださったのは資料整備委員会の幹事をつとめられた山口俊浩氏(宮内庁管理部)である。資料の総数は9,255 点で、これらが11箱の段ボール箱に大分類して収められているのだが、大箱の中は、中箱や封筒、ファイルなどによって96点に中分類され、さらに細かく整理されている。
 当初、それら資料の一部が机に並べられ、それを見ながら説明を伺うものと考えていた。ところが実施されたのは、ひと箱を何分間ずつと時間を決めて、参加者各自が自由に取り出し、手にとって見てよろしいというのである。参加者は、事前に洗面所に行列を作って石けんで手を洗う。取り出せる資料の単位は、小分類されて封筒などに収められたものだ。もちろん、すべての資料を見ることは無理である。資料の整理記号が表に記されてはいるものの、内容は開けてみるまで分からない。関心ある資料を的確に引き出すことはなかなか難しく、選ぶのはくじ引きみたいなものなのだが、これもまた楽しみの一つであった。紙が変色し、製本が壊れかけていて、インド辺りのスケッチの入った野帳を手にしたときなどには、軽い興奮を味わった。このように資料の断片ではあるが、広い分野にわたる多彩な資料を直に見ることができ、偉大な建築家を身近に感じた貴重な体験だった。
 資料の整理に関してもお話を伺った。資料の構成は、伊東家から寄託を受けたときの状態を尊重して現状記録を行っている。装備については、原資料ではいろいろなものが用いられていたが、それを中性紙の文書箱や封筒に取り替え、もとの装備に記されていた資料名やメモなどは切り取って新しい装備に貼り付けている。また、劣化の著しい資料は保護処置を行っている。資料番号については、原資料が大箱による大分類と通番で整理された2階層であったものを、中箱と小箱による階層を設けて4階層とし、この収納状況に即したものに改めている。これは資料へのアクセスの容易化をはかったもので、番号は資料本体に鉛筆で記し、それができないものは装備に記入してある。
 これらすべての資料は、2003 年に新設された建築博物館の第1号収蔵資料となっており、また閲覧に供するためにデジタル化による整理もなされていて、ウェブサイトで見ることができる。すでに本資料による展覧会が2度開催されているが、今後も公開・閲覧等による活用を積極的に行う意向であるという。

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