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第1回 初夏の遠足 「皇居一周 」

日程

  • 2003年5月17日(土)

案内人

  • 木下直之(東京大学)

御城から宮城へ、宮城から皇居へと名前を変えてきた旧江戸城の大きさと構造、地形との関係を確かめつつ、それぞれの時代の痕跡をたどる。とりわけ、戦後になって、それが「城」であることをやめたあと、皇居周辺に文化施設がいかに集まり、いかに環境を変えてきたかを探る。


行程

サンプルイメージ
  • 10:30 東京駅丸の内側広場
  • 10:45 常盤橋公園
  • 11:15 平将門の首塚
  • 11:30 和気清麻呂像
  • 11:45 大手門
  • 12:00 宮内庁三の丸尚蔵館「どうぶつ美術園」見学
  • 12:45 天守台
  • 13:00 平川門
  • (昼食)
  • 14:00 パレスサイドビル
  • 14:05 東京国立近代美術館、東京国立近代美術館工芸館、国立公文書館「速記本の系譜」展
  • 15:00 国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑
  • 15:30 国立劇場伝統芸能情報館および演芸場資料展示室
  • 16:30 憲政記念館
  • 17:00 国会議事堂前庭和式庭園
  • 17:30 桜田門
  • 17:30 二重橋
  • 18:00 楠正成像

第1回遠足に参加して……から10年を閲して藤元直樹(国立国会図書館)

 2003年「5月17日、文化資源学会の第1回遠足があった。木下直之氏を案内人に学会員のべ約40人が皇居の周りを散策した。以上。」
 これがオリジナル・ヴァージョンである。将来の増築を見越したシンプルな造り。正に匠の技である。
 というのはもちろん嘘で、その後に廃墟がどうこうという話が続いている。
 資源とゴミを巡る文化資源的な思索から出発すれば、遺跡と廃墟、はたまた歴史的建造物と廃屋の境界線に思いをはせざるを得ない。
 史跡として整備された常盤橋公園。おそらく天候と時間帯によっては都会のオアシスとしてとして存在しているのであろうが、皇居一周に旅たったばかりの我々の前に立ち現われたそれは都心の谷間に打ち捨てられた江戸の廃墟……に見えたのである。
 その体験を踏まえた上で明るく開放的に手入れされた皇居東宮苑に目をやったとき、そこには横山松三郎が明治初年に撮影した廃城としての江戸城の姿が二重写しとなってくる。
 当時、廃墟をテーマとした写真集がポツポツと出ており、それを廃墟ブームとして、21世紀における廃墟趣味の登場を待望することが可能ではないか。
 とすればワビサビで貧乏臭いものこそ日本人の美意識、というオリエンタリズムに乗っかって、古色をつける程度で満足することなく、今にも崩れ落ちんとする江戸城を再現し、維持するのがバカバカしくて良い。メメントモリ!
 丁度、六本木ヒルズがオープンしたばかりで、オフィスビルの供給過剰、人口減少というトピックを踏まえれば、老朽ビルの無人化とそこに入りこむsquatterの群れという未来図が見えてこないでもない。
 都市人口の減少問題についての対応策は明治時代に実績がある。遷都だ。
 残念なことに日本の首都はもう東京に持って来てしまった、ということは、次の一手は海外からの誘致になる。首都が自国内になければならないなんて、このIT時代に古い、古い。そんな頭の固いことでどうするというキャンペーンを海外で盛大に展開しよう。
 首都が無理なら次善の策は、県都の誘致である。東京国際空港を千葉に置いてるんだから、バーターで千葉県庁は東京に置いていただけないものかと。浦和と大宮で争っている埼玉も狙い目か。
 と、2003年版は、さびれゆく東京という未来イメージとそれへの対処法を「愚」考してみせたわけだが、シャッター商店街と限界集落が全国にチェーン展開している一方で、あいもかわらず東京は混み合っている。
 IT、クラウドなどという新しいコンセプトが前面に出てきているはずなのに、なんだかんだいって東京は中心に位置して安泰を保ち、枯れて行くのは末端からという状況は変わっていないようだ。
 場所に縛られることを交通通信網の整備によって分散させようという試みはこれまで常に裏切られ続けている。なんでもかんでも一箇所に集中させる方向に物事が動いてしまうのは、効率という力学が働くからなのだろうか。
 都市のコミュニティの設計に正解があれば、既になんらかの解決がもたらせられているはずで、そんなものはないのであろう。
 ただ個人的にはsquatterの入り込んでくるような隙間、冗長性から、都市の活気が生じているような気がする。
 すでにサッチャー政権末期で、締め付けも厳しくなり始めていたと思しき80年代末のロンドンに1か月ばかり住んでみたことがある。ものの本に書いてあるとおりに、地下鉄の駅の掲示板でフラットのシェアの張り紙を頼りに出かけていったら、あっさりメリルボーン/エッジウェア・ロードに一部屋確保できたのだが、良く得体の知れない東洋人をあっさり置いてくれたものである。もっとも、住人の大半が英国人ではなかったが。
 そのあとパリに移って、そちらでは英文のフリーペーパーの広告を見て、シェア・ルームの又貸しを受けたのだが、これも本に出てくる定石である。まったくヨーロッパの都会は異邦人を受け入れ慣れているものだと感心することしきりである。
 こうした放浪者を受け入れる度量があってこその都会という気がするが、9・11後の世界にその余地は残されているのだろうか。
 squatterといえば聞こえは悪いが、要するに制度が追いついていないから「不法」なわけである。
 明治政府の東京遷都も、連合軍の日本占領もやっていることはsquatterと変わらない。ただ制度が先行しているので「合法」性を獲得しているに過ぎない。
 ともかく時々に都市に生じる空隙を資源として生かす知恵が文化資源学会に求められることになるだろう。
 海外から首都を誘致するどころか、海外に首都を出さなければならなくなるところだった3・11を経たとき、改めて海外の人々を引き寄せられるような、そしてそうした人々が心地よく受け入れられる都市が目指されることを願ってやまない。
「この第1回の遠足の対象となった物件は、かなり安定していて、おそらく100回記念もしくは101回目に2巡目の第1回として訪れるころにも無くなっていたりはしないと思われるが、それをめぐる周囲の光景は激変していそうで楽しみである。願わくは今回の参加者が皆元気に集えますように」
 って、51回目にして、順路を逆転させるとはいえ2巡目、とは気が早い。まだ、あまり景色も変わってませんよ。駅と郵便局と社会党ぐらい? 俺? 予定が入っていて行けないけどなっ。

東京大学文化資源学研究室D1→OB

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